悪魔を憐れむ歌

1.暗闇より夜魔来たる-1
あなたはきっとこんな私をお許しにはならないでしょう…
ですが、私はあなたを守る以外の何かを他に知らない

たとえあなたがこれからどれだけ苦しんだとしても
私は決してあなたを解放したりはしない

この日もまた、帝都フェザーンでは
皇帝ラインハルト・フォン・ローエングラムの居城「獅子の泉」の会議室において定例の会議が行われていた。

「…では、フロイライン・マリーンドルフ。その件はそのように」
会議を取り仕切ったのは、銀河帝国3長官及び帝国宰相を兼務し、
皇帝の最大の腹心とも呼ばれるジークフリード・キルヒアイス主席元帥その人であった。

彼はローエングラム王朝確立以来そのほとんどの政務を
ラインハルトに代わり唯一取り仕切ることを許されている人物である。

この日ラインハルトは朝から発熱のために会議の欠席を余儀なくされ、
その会議の運営をキルヒアイスに委ねていたのだった。

王朝確立以来まだまだ問題は山積みのため、その執務は激務を極め
ラインハルトが体調を崩したのも無理のないことだった。

キルヒアイスは無理に体を起こすラインハルトを強引に押さえ込んで今日の会議に出席していたのである。

”きっと怒っていらっしゃるのだろうな…ラインハルト様”
などと、考えながらキルヒアイスは次々と上る議題の数々を迅速に片付けてゆく。

今日は予定よりもかなり早く会議に終わりが見えてきていた。
丁度キリのいい所で会議に小休止を入れると会議の参加者達に珈琲が運ばれてくる。

「いやあ、キルヒアイスが議長だと早くていいな」
「そんな…」
ミッターマイヤーがそんな労いの言葉をキルヒアイスにかける。

「…じゃ、なかった。失敬、キルヒアイス主席元帥」
「お褒めのお言葉有難うございます…あ、今は公式の場ではありませんので呼び名はお気になさらず」
いつも気さくなミッターマイヤーの失言にもキルヒアイスは笑ってそう答えた。

「は、それは助かる。どうも最近はお互い重い肩書のせいで肩が凝っていかんな…」
「ですね…確かに忙しくて息をつく間もありませんから。
元帥もここしばらく家の方にお戻りになっていないのではありませんか?」

苦笑いを浮かべたミッターマイヤーと顔を合わせながらキルヒアイスはそんな世間話を交わす。

そんな様子にクスクスと上がるヒルダの笑い声。

「あら、ご謙遜なさることはありませんわ。キルヒアイス元帥の働きはここにいる
メンバー全員を含め万民がお認めになっていることですもの」
ヒルダのその言葉に回りの元帥府の面々もそれに相槌をもって答える。

ラインハルトと違うところはその卓越した事務能力だろうか。
ラインハルトのように感情を表にだすこともなくとにかくキルヒアイスのそれには無駄がない。

迅速かつ適切な処理能力には皆も舌を巻くところである。

穏やかな口調で難なく問題を片付けていくその様子を誰もがたのもしく思っていた。

「…ところ、で」
話題を変えるように今度はロイエンタールが話しをもちかける。

「陛下のご容態の方はどうなのだ?キルヒアイス」
「熱は…大したものではありません、ただ最近は特にご無理をなさることが多かったものですから」
キルヒアイスが遠慮がちにそう告げるとロイエンタールはようやく話に納得する。

「…なるほど。卿が休ませた訳か」
「そういうことです」
「それでしたら、キルヒアイス元帥。早く陛下の下にお戻りにならないといけませんわね」
笑ってそう答えるヒルダにはラインハルトの怒る姿が目に浮かぶようであった。

「…です、ね」
困ったような笑い顔でキルヒアイスはヒルダに言葉を返す。

「オマエも大変だな、キルヒアイス…」
「別に、そんなことは…」
そんな同情のようなミッターマイヤーの声にキルヒアイスはわずかな否定をもってそれに答える。

だがこればかりは他の誰もそれを変わってはやれない。
ラインハルトが親友と呼び自らの傍におくこと望んでいるのは他ならぬこのキルヒアイスだけなのだから。

「キルヒアイス元帥…」
会議に参加していた帝国の治安維持を担当する
憲兵総監のウルリッヒ・ケスラーからさらに話題が続けられる。

「最近、ヴェスターラントの残党勢力に不穏な動きがみられます」
「穏やかではありませんね…詳しくお聞かせいただけますか?」
ケスラーからの連絡はまるで寝耳に水のような話であった。

「皇帝誘拐!?」
「…はい、かなり大掛かりなものと思われます。どうやら地球教が絡んでいる可能性も」

「地球教が…ッ!?」
会議室が地球教の言葉を聴いて一層ざわめきたった。

地球教。
それは銀河帝国ローエングラム王朝の設立以前から存在し
同盟、帝国、フェザーンにまたがりその勢力を水面下に広げる今だ謎の多い計り知れない第3勢力だった。

ローエングラム王朝設立によってその活動に極端の制限を強いられた地球教は
王朝打倒にその力を注いでいるという。

宗教とは名ばかりのサイオキシン麻薬を始めとする麻薬密売といった分野でも
その悪名は高く、薬づけの信者達の結束は絶対服従の軍人よりもタチが悪かった。

「今度はヴェスターラントの残党勢力と手を結んだという訳ですか…」

”手段を選ばないということか…しかしヴェスターラントとは。
いつまでたってもあの男(オーベルシュタイン)には祟られる…ッ”

顔色には出さずキルヒアイスは一人心の中でそう愚痴る。

「…警護についてはキスリング親衛隊長の方にすでに説明を済ませております」
「分かりました…ケスラー憲兵総監、引き続き徹底的な調査をお願いします。この件を最優先に」

「かしこまりました…あと、陛下へのご報告はいかがなさいますか?」
「…それは私の方から致しましょう。オーベルシュタイン元帥」
ケスラーとの話をそこで終えて会議の書類をまとめ終えたオーベルシュタインをキルヒアイスが呼びとめた。

「…なにか?」
「お話しがあります…執務室までご同行願えますか」
キルヒアイスが手を執務室に向けてオーベルシュタインを招く。

「承知した…」
室内に緊迫した空気が流れ再びざわめきが起こった。

どちらにしろこの二人が内輪で話すとなれば
穏やかな話などでは到底有り得ない事を皆が当然のように承知しているからだ。

「…あの、キルヒアイス元帥」
「今日の会議はこれまでとします…フロイライン、報告は後でお願いします」
ヒルダの呼びかけにキルヒアイスがきっぱりと皆にそう言い放った。
そしてそのままオーベルシュタインを伴うとキルヒアイスはその場を後にした。

その後姿をその目で追いながらミッターマイヤーとロイエンタールは
「さあ…どうでるかな、キルヒアイスは」

「…ふむ、だがヴェスターラントの件は陛下と同じくキルヒアイスにも禁句のことだ。
あの件にオーベルシュタインが絡んでいることはまず間違いあるまい。
あの時…キルヒアイスは陛下のお傍を離れ陛下の代理として辺境星域の制圧にあたっていたのだからな。
自分が陛下のお傍を離れることがなければあの悲劇は起こらなかった…
事実そうであっただろうし、そう思っているのではないか?」

などと、言葉を漏らし執務室に消える二人の姿を皆で見送った。

執務室に入ると話を切り出したのは意外にもオーベルシュタインの方だった。

「私を呼ばれたからには、ヴェスターラントの件…ですかな」
「…そうです。あなたの労した愚かな策のおかげでローエングラム王朝は深い影を残してしまいました」

キルヒアイスは腰に下げたブラスターをオーベルシュタインに向けると
オーベルシュタインはそれに驚いた様子もなくその言葉を返した。

「私を、どうするおつもりか…キルヒアイス元帥」
「…あなたは私を見誤っています。陛下の前で銃口を向けたときもそうでした…
私はたとえ無抵抗なものでも、それがたとえ無垢な子供であっても
陛下のご命令ならばこの引き金を引くことが出来る。
そして今ならば私の意志でこの引き金は簡単に引くことが出来ます…ですが」

話を続けながらキルヒアイスは
オーベルシュタインに向けたブラスターの銃口を下ろす。

「ですが、あなたにはいずれヴェスターラント虐殺の張本人として活躍して頂かなくてはなりません…
今はまだ、殺す訳にはいきません」
「…今はまだ、と申されたか」

「そうです、今はまだ…その時期ではありません…まだあなたにはやるべきことが残っています。
あなたには陛下のためにこれまでの忌まわしきもの全てを背負って逝って頂かねばなりません…」

オーベルシュタインもそれは自分の中で納得していた。

自分はそのための存在であるということを。
劣悪遺伝子排除法を生み出したゴールデンバウム王朝打倒のため
オーベルシュタインがラインハルトに誓った絶対の忠誠と目的は
それをもって証明することにあった。

「…以前、あなたは私におっしゃいました。自分は敵ではない、と」

そしてキルヒアイスはブラスターを腰に収めた手で
オーベルシュタインを自分と向かい合う席へと招く。

「あなたにやっていただきたいことがあります…」
席に腰を下ろしたオーベルシュタインにキルヒアイスは、そう言って用件を話し始めた。

「なるほど…」
全ての話を聞き終えるとオーベルシュタインはそれを受け入れて承諾する。

「…しかし、キルヒアイス元帥。卿は私と心中なさるおつもりか?」
「あなたを陛下にお引き合わせしたのは私です…私にも責任はあります。
陛下を守るために必要とあらば私はなんでもします」
そう言うとキルヒアイスは席を立ち、オーベルシュタインもそれに続いた。

「先程の地球教の件は、フェルナーをお使いになるが宜しかろう…」
「…それでは、この件はそういうことでお願いします」

部屋を出る際、扉の前にいたオーベルシュタインがキルヒアイスに振り向き様に声をかける。

「卿のおっしゃる通り私は卿を見誤っていた…
陛下の影になっていて今まで誰もが気づかなかったのでしょう…果たして
陛下も卿の本質をどれほどご存知かは知らぬが、これだけは言えますな。
卿は確かに陛下にとって必要なお方だ」

キルヒアイスがオーベルシュタインのその言葉に目を向けたが
そのままオーベルシュタインは軽く一礼して扉を開けて退出してしまった。

オーベルシュタインが退室し、ただ一人キルヒアイスはその執務室に取り残される。

結局キルヒアイスはオーベルシュタインを密かに自分の直属に置くことにした。

いざ、ヴェスターラントの件が明るみにでた際には、
陛下の傍の参謀は自分の直属であるということにして
ラインハルトの身代わりとなって自分がその非難の的となるために。

だが、今はその件を明るみにする訳にはいかなかった。

帝国内には問題が多すぎてまだまだ不安定な状態にあるからだ。
だからキルヒアイスは今はまだ、とオーベルシュタインに言ったのだ。

キルヒアイスにもオーベルシュタインにもまだ成さねばならない議題が山積している。
だから全てが片付くまでオーベルシュタインとキルヒアイスは共同戦線を張ったのだった。

それは到底友と呼べるものではなくどちらかといえば共犯者といった意味合いの方が強いものである。

だが二人のそれは立場や目的は違えども
ともにローエングラム王朝を…いや皇帝を守ろうとする殉教者ともいえた。

1.暗闇より夜魔来たる-2
キルヒアイスが静かに胸元から銀色の懐中時計を取り出した。

それは以前クリスマスの贈り物として
アンネローゼからラインハルトとキルヒアイスにと贈られた金銀揃いの懐中時計だった。

揃いの金は勿論今もラインハルトが持っている。

中を開くとそれはロケットになっていて
そこにはアンネローゼとラインハルト、そしてキルヒアイスの3人の懐かしい写真が添えられていた。

”…いかなる災いからも必ずこの私がお守り致します、ラインハルト様”

キルヒアイスはその写真を見ながら出会った頃の昔を懐かしむように
その懐中時計を胸元で握りしめ、瞼を閉じてロケットにそっと口付ける。

”ラインハルト様…”

しばらくそうしていたキルヒアイスだったがラインハルトが自分を待っているため
ずっとこうしていてもいる訳にもいかなかった。

残った仕事を早々に片付けてキルヒアイスは一刻も早くラインハルトの下に戻らなければならないからだ。

懐中時計を胸元にしまい込むとキルヒアイスはヒルダを呼んで
執務机の上にあった書類に再び目を通し始めたのだった。

やがて仕事を終えたキルヒアイスはヒルダを退出させてそのままラインハルトの下へと向かった。
なにやらラインハルトの居住区のあたりが騒がしい。

そのままキルヒアイスがラインハルトの部屋の前までいくと、
ラインハルトの側近であるエミールの姿がキルヒアイスの目に飛び込んできた。

「キルヒアイス元帥…ッ」
「…どうなさいましたか?」

「陛下がどこにもいらっしゃらないんです…ッ!!」
あちこちで親衛隊の声があがっておりすでに親衛隊の方でも捜索を開始しているようだった。

「キルヒアイス元帥、キスリング親衛隊長がお見えになりました…!」
「進展は?」

「只今、全力でお探ししております…しかし、どうもこれは」
「え…?」

中からの侵入の形跡はまったく見られないとのことだった。
どうやらラインハルト自ら外に出た可能性が高いというのである。

”…まったく。あの人は、この大変な時期に…何故”

目を僅かに細め片手を顎に添えて考え込むキルヒアイスだったが
考えるその間もなく胸元の通信機の音が鳴った。

それはフェルナーからの連絡だった。
どうやらオーベルシュタインが早速フェルナーに命じすでに行動を起こさせていたようである。

流石にオーベルシュタインは有能でその辺にも手抜かりがなく仕事も速い。

「フェルナー准将、陛下は今どちらに…?」
『…キルヒアイス元帥、少しやっかいなことになりました。
陛下は何者かに呼び出しを受けていたようなのですが、
そのまま地上車に乗せられて移動させられてしまった模様です』

「……ッ!」
すでに敵は動き出してしまっていた。
全てが後手に回ってしまったのである。

一瞬目の前が真っ暗になりそうになりながらも
キルヒアイスは引き続きフェルナーからの連絡を聞き続ける。

『すでに部下が後を追っております…場所は…』
「…わかりました、すぐに向かいます。引き続き連絡をお願いします」
通信機を切るとすぐにキルヒアイスは行動を起こした。

「ケスラー憲兵総監に至急連絡を…!キスリング隊長、陛下をお迎えに上がります…頭数を揃えて下さい」
「は…ッ!」

上手くいけば先発させたケスラー達によって早々に鎮圧され
ラインハルトは無事に保護されているはずである。

キルヒアイスはキスリングに指示を出すとそのまま用意させた地上車に乗り込み
急いでフェルナーからの報告があった現場へと向かった。

現場に到着するとすでにケスラー達により救出作戦は展開されていた。

「陛下はどちらに…?」
「今だ発見には到っておりません、只今総力を挙げて捜索中です」

会話を遮るように突然建物から連続の爆発音が辺りに鳴り響いた。
たまらずキルヒアイスが腰に下げたブラスターをその手に持って建物に向かって走り出す。

「元帥、危険です…ッ」
ケスラーの制止も聞かずキルヒアイスはそのまま爆発が続く建物へ突入を開始した。
慌ててケスラーも近くにいた人間をかき集めてその後を追う。

「…ラインハルト様!どちらにおられますッ…ラインハルト様ッ!!」
キルヒアイスがラインハルトの姿を求めて必死の声を上げる。

爆発が立て続けに起こる中、建物内を探し回っていたキルヒアイスの視界の隅に
ようやくラインハルトの姿が捉えられた。

「ラインハルト様…ッご無事で!?」
そこには建物の奥に壁際で蹲るような格好のラインハルトの姿があった。

衣服に多少の乱れはあったものの外傷はなく拘束はなにもされていない。
だがキルヒアイスの言葉にラインハルトからはなんの反応がない…いや、なさすぎた。

「…ライン、ハルト様?」
キルヒアイスがラインハルトの顎を掴み上げ自分の方へと向かせてその瞳を覗き込むと
ラインハルトのその瞳は焦点も虚ろで、ぼんやりとしていた。

ラインハルトの体をキルヒアイスが抱えこむとラインハルトは小さな笑い声をあげながら
キルヒアイスの頭に腕を絡めてくる。
どうやら見張りもろくになく拘束もされていなかったのには訳がありそうだった。

”…幻覚剤かなにか薬物を投与されたのかも知れない”

「キルヒアイス元帥…ッどうかお早くッ」
建物内では今だ頻発に爆発音が鳴り響いている。
ケスラーのその言葉にキルヒアイスはラインハルトを脇で抱え込みながらそのまま出口へと急いだ。

そうして建物の倒壊が始まる頃にはキルヒアイス達は建物から脱出することが出来た。

「陛下、ご無事で…!」
キルヒアイスは一目を避けるようにそのままラインハルトのその姿を背中のマントを外して覆い隠す。

「…陛下のご様子が変なのです。なにか薬を飲まされたようで…
急いで医師を呼んでください。城には私がこのままお連れしますので…」

「なんと…ッ!」
キルヒアイスのその言葉にケスラーは驚きの声を上げながらも早速医師の手配をするべく連絡をとった。
その時近くにいたフェルナーの姿を見つけたキルヒアイスは労いの言葉をかける。

「…フェルナー准将、よくやってくれました」
「早速お役にたてて何よりです…建物内の関係者はケスラー憲兵総監が全て捕らえてあります。
こちらはケスラー憲兵総監におまかせして、私の方はこれらと地球教との関係を調査しようと思うのですが」
フェルナーの言葉にキルヒアイスが怪訝に眉を顰めた。

「やはり、地球教と関わりが…?」
「建物の関係者のそのほとんどはヴェスターラントの残党勢力と思われますが…
その可能性は極めて高いと私は考えます」

確かに規模が大きすぎる。

そしてラインハルトの行動をこれほど早く知りえる情報力といい
その用意周到な手口にただならぬ裏の存在があるというところは
キルヒアイスにも否めないところだ。

「…わかりました、引き続き調査を続けてください」

「元帥、地上車の用意が整いました」
キスリングの声にキルヒアイスはラインハルトを連れてその場を後にする。

「では、ケスラー憲兵総監…あとはよろしくお願いします」
キルヒアイスはその場をケスラーに任せラインハルトごと後部座席に乗ってそのまま地上車を発進させた。

ラインハルトを覆ったマントを外すとそこには無邪気に笑うラインハルトがいた。

その身をキルヒアイスに凭れさせ何が可笑しいのか
クスクスと笑いながらキルヒアイスの服の襟元を触っては戯れる。

その有様にキルヒアイスはラインハルトをこのようにした犯人達にかつてない憎悪を覚えていた。

”許さない…この購いは必ずさせる…その命すでにあると思うな。
近いうちおまえ達の身にかつてない恐怖が襲いかかる…
その時こそ、おまえ達は生きていることを後悔することになるだろう”

ラインハルトの身体を黙って自分に引き寄せて
キルヒアイスはただ静かに怒りをその身に滾らせる。

その言葉の通り犯人達は決して怒らせてはならない者を敵にしたことを
やがて身をもって知る事となる。

キルヒアイスがラインハルトの居城・獅子の泉に辿りついた時には
すでにその情報をいち早く聞きつけた元帥府の面々やヒルダ達も駆けつけてきていた。

「おい、キルヒアイス…!陛下は…ッ!?」
「陛下…ッ」

「陛下はご無事です…ですが、まず医師の診断を仰がねばなりません…どうか前を通してください」
挨拶もそこそこにキルヒアイスは脇に抱えたラインハルトを
マントに包み込んだまま医師団の元へと連れてゆく。

ラインハルトはそのまま寝室へと運ばれそこで医師団達による診断が行われた。

部屋の外ではその診断結果を聞くべく訪れた元帥府の提督達とヒルダが待機している。
その背を壁に凭れさせラインハルトの寝室の扉を見つめながらキルヒアイスもまたそこでその結果を待った。

やがて診断を終えた医師団たちがキルヒアイス達を寝室の続き間へと呼んだ。
だが診断の結果はキルヒアイス達の予想を遥かに超えたものだった。

「急性麻薬中毒!?」
「そんな…ッ」
皆がその言葉に愕然として顔を真っ青にさせて騒然の中、キルヒアイスは医師団に治療法を訊ねた。

「ドクター…治療法は?」

「方法は二つあります…一つはこのまま薬を抜けさせること、ただしこれはかなり大変なことです。
今は鎮静剤で眠らせておりますが、禁断症状が始まればそれも効き目がなくなります。
薬が抜けるまでは幻覚症状を始めとする吐き気、嘔吐といった
あらゆる禁断症状に全身は襲われ、その症状が治まるまでに発狂してしまう者も少なくはありません」

「…もう一つの方法は?」
その言葉に医師が瓶を一つ差し出した。

「こちらです…さらに強い薬で一時的に正気を取り戻すことが出来ます。
ですが、これはあくまで薬の効用で一時的なものです。
治療といえたものではありません…さらなる中毒を引き起こすことになりますから」

「毒をもって毒を制すか…」
そんなロイエンタールの言葉にミッタマイヤーからの激昂が飛んだ。

「馬鹿をいうな…ッ陛下を中毒患者にするつもりか!」

薬を抜けさせるか、一生薬漬けか…

”…ラインハルト様ッ”
キルヒアイスは医師団からその背を返し壁に向かってそのまま拳を激しく壁に打ち付ける。
室内に壁を叩きつける鈍い音が響き渡り、皆が壁を叩きつけたキルヒアイスの背中を見つめた。

そこからでは壁に向かうキルヒアイスの表情を伺い知る事は誰にも出来なかったが
震える身体からはそのどうしようもない胸の内の様子が見てとれた。

何か痛いものを見てしまったようにキルヒアイスのその姿に皆が顔を顰める。

キルヒアイスは壁に打ち付けた拳の痛みによってわなわなと震える身体を無理やり押さえ込むと
その感情を表情に露わにすることもなく再び医師団の方へと向き直った。

「…手錠の鍵をください」
キルヒアイスは無表情のままそう言って
ラインハルトが薬が切れた時の用心のために医師団によって施された手錠の鍵を医師団に求めた。

医師団はその言葉に応じてキルヒアイスにその鍵を差し出す。

「…薬はどのくらいで抜けますか」
「量にもよりますが正気に戻るのに早くて3日から1週間弱、
禁断症状が完全に出なくなるにはまたさらに時間を要します…」

その言葉にキルヒアイスは手錠の鍵をその手に強く握りしめる。

「わかりました…この件はどうか内密にお願いします」
医師団は禁断症状や症例の簡単な説明を済ませるとその場を退出した。

「キルヒアイス…卿は」
「この件に関しては箝口令をしきます…陛下のお体から薬が完全に抜けられるまで、
陛下は療養中ということで陛下の執務は私がしばらく代行します…
フロイライン、スケジュールの方を調整して下さい」

立ち尽くす面々にキルヒアイスがそう告げる。
その言葉でキルヒアイスが自らラインハルトの薬を抜けさせる役を
かってでたことにその場にいる全員が瞬時に気がついた。

「元帥、なにもあなたがなさらずとも…ッ」
「いいえ…他の者に陛下のそのようなお姿をお見せする訳にはまいりません。これは私の仕事です…」
淡々と発せられるキルヒアイスの言葉に全員がその耳を傾ける。

「…これより陛下の居住区への出入りを一切禁じます。
キスリング隊長、この先何人たりとも陛下のお傍に人を近づけてはなりません。
ケスラー憲兵総監には引き続き関係者の取調べの方をよろしくお願いします」

口答えは許されなかった。

キルヒアイスの命令はラインハルトがいない以上それは絶対のもので何者にもそれに逆らうことは出来ない。

「用件は以上です…」
静まりかえった室内でキルヒアイスは最後にその話を締めくくると、
キルヒアイスその背を皆に向けて退出を命じた。

寝室の扉が閉められてようやくキルヒアイスはラインハルトと二人きりとなる。

まだ鎮静剤が効いているのだろうか、ラインハルトは穏やかな吐息を漏らしてよく眠っている。
だがそれも薬が効いているうちのことでじきに恐ろしい禁断症状が始まるだろう。

キルヒアイスは以前クロイツナハ・ドライにおいて
サイオキシン麻薬の事件に巻き込まれ麻薬によって引き起こされた
中毒患者の恐ろしい有様を目の当たりにしたことがあった。

だからこそ、その薬の恐ろしさをよく知っている。

これからラインハルトに襲い掛かる禁断症状は
その想像を絶するものであろうということも…

ラインハルトの綺麗な肌に傷がついてしまうと、
キルヒアイスはラインハルトを拘束する手錠を外し
近くにあったシーツを引きちぎり両手両足を縛りベッドの足に固定させた。

そのままラインハルトの眠るベッドの端に腰をかけて座りこみ
キルヒアイスはそっとラインハルトの額に自分の唇をあてる。

そしてその身を抱きながらラインハルトの頬に摺り寄せるように頬を合わせた。

”これからまたあなたと同じ夢をみましょう…今度の夢は長くて苦しいものになりますが、
あなたが薬以上に私を欲しがるまでは決してあなたを離しはしない”

今まさにキルヒアイスとラインハルトの二人は
長い戦いの夜を迎えようとしていた。

2.歪んだ真珠-1
闇夜を照らすあの月はまるで歪んだ真珠のよう

微妙に正円を描かないそれを
まるでその光で覆い隠すように自らを包み込む

その完璧な正円を求める姿に私はどこかあなたを見てしまいます

いくらその光にその身を隠しても

ずっとそれを見ている私にはその姿すらも全て愛おしい

「あ…うあ、ああッ!?」
深夜遅くにようやくラインハルトはその意識を取り戻した。

目が醒めたラインハルトの手足はキルヒアイスによって
引きちぎられたシーツでベッドの端へと繋がれその身は捕らわれの状態にある。

「…お目覚めになりましたか」
窓際に椅子を寄せて静かに読書に耽りながらラインハルトの目覚めを待っていたキルヒアイスは
そのまま席をたってラインハルトのいるベッドへと近づいてゆく。

「…いやッだ、怖…いッ」
ラインハルトの焦点の定まらないその瞳から浮かび上がる生理的な涙。

禁断症状によってじっとしていられない身体は
身動きを封じられた状態であってもその身の自由を求めて暴れ出す。

「無駄ですよ…その様にされても」
「離、せ…ッ離せええーッ!!うあああ…ッ」
ラインハルトの寝室から絶叫が上がりその声は居住区へと響き渡った。

「…始まったな」
ラインハルトの悲痛の叫びをキルヒアイスより警備を命じられたキスリングだけが聞いていた。

”長い夜になりそうだ…”
だが辛いのは悲鳴を聞いている自分ではない。

禁断症状で苦しむラインハルトは元よりその姿を目の当たりにしながら世話をする
キルヒアイスの心中はさらに想像を絶するものであるだろう。

それは今も辺りに響き渡るラインハルトの悲鳴からもキスリングには伺い知れた。
自分に今出来ることはそのキルヒアイスから命じられた人払いの任を確実に遂行することにある。

キスリングはそう自分に言い聞かせて帽子を深く被りなおした。

「そのようにお声をあげられますな…喉を痛めてしまいます」
そう言うとキルヒアイスは布でラインハルトの口元を封じ込んでしまう。

「ぐ…ッ!うーッ!!…んんッ」
「…どこまでもお付き合いしますから、ラインハルト様」

ラインハルトの狂気に満ちた挑むような瞳を
キルヒアイスは物ともせずにラインハルトの身体を押さえ込む。

「あなたが本当に欲しいものは薬などではないはずです…
あなたがそれを思い出すまでは、身体の自由を返してはあげられない」

”あなたの今の苦しみはあなたを守りきれなかった私の罪です。
私にはあなたのその苦しみを全て受け止める義務がある。
だから決して目を逸らさずに、今のあなたを見届けましょう…”

禁断症状を忘れさせるのは、それ以上の苦しみ。

「あなたをずっと傷つけたくないと願い、それを守り続けた私が
今唯一あなたに与えられるものが他にないとは…」

”だが禁断症状に一人もだえ苦しむあなたを見るよりは…それもいた仕方のないことか”
キルヒアイスはラインハルトの顎を掴んで自分の方へと向かせた。

「あなたも、こんな私を許さないでください…ラインハルト様」
「……ひッ、いいッ!!」
ラインハルトの全身に痙攣が走る。
焦点のあやふやだったその瞳は大きく見開かれ、その背を大きく反り返させた。

あまりの痛みに全身は恐怖におののき、禁断症状もこの時ばかりはなりを顰める。
驚愕に目を見開かせてびくびくと小刻みに痙攣を繰り返すラインハルトの身体を
キルヒアイスはその目を逸らさずに受け止めていた。

「決して私からその目を逸らしてはなりません…
あなたは見届けなければならない…あなたに大罪を犯す男の姿を」
「…うーッううー」
たちまちラインハルトを横たえさせていたベッドが真紅に染まってゆく。

キルヒアイスが何の準備も施さないままラインハルトの中に強引に自分を埋め込ませた為に
下肢から滴り落ちたラインハルトの鮮血によってシーツが汚されたのだ。

これまでも二人は身体を重ねる関係にあったが何の準備もなく身体を繋げることは
ラインハルトの身体に負担が大きかったためキルヒアイスはいつも気にかけていた。

だが他に目立った外傷を残さずにラインハルトに苦痛を与える術を
他に思いつかなかったキルヒアイスは今までの禁忌を破りその手段としてそれを用いたのである。

「ぐッう…ん、んーッ」
涙を溢れさせていたラインハルトの瞳からそれは堰をきったように一気に零れ出す。

互いの快楽を一切封じ込んだ痛みだけの身体の交わり。
その行為は啜り泣きをしながら痛みを受け止めるラインハルトが気を失ってしまうまで続けられた。

夜が明けるとキルヒアイスはそのままろくに眠ることもないまま身支度を整えて部屋を出た。
ヒルダからの業務連絡とケスラー達の捜査状況を聞くためである。

部屋を出ると一日中警備を続けていたキスリングの姿がキルヒアイスの目に止まった。
一晩で人が変わったようにやつれ果てたキルヒアイスにキスリングが敬礼してその視線に答える。

「…どうやらあなたも眠ってはおられないようだ」
「自分のことはどうかお気になさらず…
元帥におかれましては今は陛下のことだけにご専念下さいますよう…」

キルヒアイスの言葉にキスリングはそう声をかけたがキルヒアイスはその言葉を首を振って否定した。

「いいえ、あなたはそれではいけません…キスリング隊長。
陛下のお傍にいる私がこのような状態である以上、
あなたはきちんとした体調で陛下をお守り下さらなければなりません」
「…です、が」

「眠れないのでしたら薬を使ってでも無理に身体を休めるのです…いいですね?」
続けられたキルヒアイスの言葉にキスリングは敬礼をもってそれに答える。

「陛下は今お休みになっておられます…私が戻られるまでどうか後をよろしくお願いします」
その姿を見届けたキルヒアイスはそう言って
キスリングはそのまま執務室に向かうキルヒアイスのその姿を見えなくなるまで見送った。

”…気丈なお方だ。このような状況にあっても全てを冷静に判断されている”

そこにはすでにやつれた様子を表に出すことのないいつもと変わらぬキルヒアイスの姿があった。

キルヒアイスが執務室に入るとやはり昨夜は眠れなかったのか赤い目をしたヒルダが待機していた。

「キルヒアイス元帥…お手が…」
ヒルダのその言葉にキルヒアイスがふと自分の手に目をやると
手の甲にはラインハルトの爪によって傷つけられた赤くみみず腫れを起こした痛々しい傷跡があった。

「…これは、失礼」
キルヒアイスは制服にしまい込んであった白い手袋をその手につける。

「それでは報告を聞きましょうか…フロイライン」
そして何事もなかったかのようにキルヒアイスはヒルダによってまとめられた書類に目を通し始め
そのまま報告を聞きながら仕事を片付けにかかった。

あらかた仕事を片付けてしまうとキルヒアイスは捜査状況を聞くべくケスラーに連絡をとる。

ケスラーからの報告ではその場に居合わせた地球教関係者は口に含んだ毒で服毒自殺を図っており、
残ったヴェスターラント関係者も地球教徒によってすでに麻薬に犯された状態にあるらしく
その証言もほとんど得られない状態だという。

結局、一晩経っても捜査にこれといった進展は見られなかったという訳である。

「…今からそちらに向かいます」
それだけ告げるとキルヒアイスは通信をきってケスラーの元に向かうべく立ち上がった。

キルヒアイスに同行しようと後を追うヒルダにキルヒアイスは控えめに声をかける。

「貴女は来られないほうが…」
「いいえ…私は秘書官です。陛下をお助けする立場にある以上お供させてください」
今自分のするべきことは陛下の代わりとなって働くキルヒアイスのそれを手助けをすることにある。
そういって断固として同行を求めるヒルダにキルヒアイスはやむなく許可を出す。

「わかりました…では、ご一緒に」
そのままヒルダを連れ立って執務室を後にするとキルヒアイスはケスラーのもとへと急いだ。

キルヒアイスが到着するとそこにはケスラー自らが出迎えに出ていた。
そしてキルヒアイスに請われるままに一同は生き残った事件の関係者の下へと向かう。

「……ッ!」
最初、その姿を目にした時ヒルダが恐怖に顔を引き攣らせた。
そこには麻薬の禁断症状に襲われた見るも無残な人間には程遠い生き物の姿があったのだ。

これと同じ薬をラインハルトもまた与えられたのである。
今のラインハルトもこれと似た状態であることには違いなかった。

キルヒアイスはこの状態のラインハルトの傍に一緒にいるのだ。

ヒルダはそっとキルヒアイスを覗き見ると、
いつもと変わらないその様子にキルヒアイスの精神力の強さを思い知ったのだった。

「面目ない…キルヒアイス元帥」
「…いいえ、ケスラー憲兵総監」
捜査の進展が手詰まりになったことにケスラーが詫びを入れると
それに答えるキルヒアイスの言葉は予想外のものだった。

「内国安全保障局のラング局長を呼び出してください」
「な…ッ」
ケスラーとヒルダがキルヒアイスのその言葉に衝撃を走らせる。

ラングはローエングラム王朝以前は国家治安維持局の局長として
帝国内の不穏分子に対して極端な弾圧を強いて恐れられていた人物であった。

オーベルシュタインにその手腕を買われ、ローエングラム王朝確立後は
その名を内国安全保障局と変えて局長としてその任にあたっていたが
ロイエンタールを謀反人に仕立て上げようとした国家への内乱罪により
その身は今やオーベルシュタインの下で更迭されている立場にある。

「なにを申されますか、キルヒアイス元帥…ッ一体あなたは何を考えておられるのですか!?」
「なにって…別に。こういったことは専門家におまかせしましょう…
ケスラー憲兵総監、あなたは引き続きこの件を最優先とした徹底捜査を」
キルヒアイスから告げられたその言葉にケスラーは逆らう言葉を失くす。

「…すぐに、手配いたします」
ようやくそれだけ口にするとケスラーはそのままその場を後にして
ラングをこちらに呼ぶための手続きにとりかかった。

「キルヒアイス元帥…」
ヒルダはこの時常に陛下と共にあってその笑みを崩すことのなかったキルヒアイスが
その表情を顔色にすら出さずに怒りで身をみなぎらせていることを知る。

口の中に溜まる唾液をごくりと飲み込みながら
ヒルダはこの時自分の背に滴り落ちる冷たい汗を感じていた。

ケスラーからの連絡を受けたオーベルシュタインにより早速ラングとの連絡が
つけられると早々にラングがケスラーに連れられてその場にやってきた。

一礼するラングにキルヒアイスが声をかける。

「…ようこそ、ラング局長」
控えの間でそのままヒルダとふたりキルヒアイスはラングの到着を待っていたが
ヒルダを残しラングとケスラーと共に事件関係者の部屋へと向かうためその部屋を出て移動を始めた。

「キルヒアイス元帥、私も…!」
「いいえ…貴女は陛下にとっても、我々にとっても…大切なお方です。
これ以上あなたにお目苦しいものをお見せする訳にはまいりません」

「すぐに戻ります…貴女はどうかこちらでお待ちください」
後を追おうとしたヒルダをキルヒアイスがそういって口答えの余地も与えないまま
立ち止まらせキルヒアイスはその場を後にした。

「あなたに見ていただきたいものがあります…」
キルヒアイスは捕らえられた関係者をラングに引き合わせる。

「…なるほど。私の仕事はこれらからその情報の全て引き出すことですな」
すでに事件の詳細は耳にしていたため自分が呼ばれるということで
大よその予想をラングはしていたようだった。

クックックッと、ラングが小刻みに身体を揺らしながらその喉元を笑わせる。

「そういうことです…ラング局長。あなたにこれより24時間の猶予を与えます。
それまでに必要な情報を彼らから引き出してください」

その言葉にラングが驚いた目でキルヒアイスを見やる。

「24時間とは…またふっかけますな、閣下」
「…この仕事、あなたを見込んでお願いしています。
成功した暁にはあなたの処遇はこの私の名において保証させて頂きましょう」

ラングの望みは唯一つ。
それは更迭を解かれて内国安全保障局の局長として再びその立場に返り咲くことにあった。

皇帝・ラインハルトに次ぐ地位にあるキルヒアイスの言葉であるならば
この帝国内で適わないことなど何もない。

2.歪んだ真珠-2
「…その言葉、二言はございますまいな、閣下」
「キルヒアイス元帥…それはッ」
ケスラーの非難の声をキルヒアイスがその手を翳して遮った。

「よいのです…ケスラー憲兵総監。どうやら帝国にはまだこの方が必要のようです」

「やってみましょう…しかし、24時間とは時間がない上に
ここにはその道具もない。はて、どうしたものか…」

ラングが首を傾げて少し愚痴めいた言葉を漏らす。
麻薬中毒に侵された関係者からその証言を得るためには無論尋問だけでは無理な話であった。

「今、彼らを移動して口封じに消されてしまっては元も子もありません…
必要なものはケスラー憲兵総監にいって用意させましょう」
「…果たして、どこまでのご許可が下りますかな?」

ラングがその小さい身体を丸めこませ、下から眺めるように陰湿な目でにやりと笑ってキルヒアイスに訊ねる。
その言葉を顔色を変えないまま受け止めるとキルヒアイスはラングに言葉を返した。

「どうせ、彼らは皇帝誘拐の罪により極刑は免れません…いかようにも」
「…なかなか辛辣な事を言うお方だ、閣下は」
ラングのその言葉に付け足すようにキルヒアイスが訂正を加える。

「ああ、しかし…首から上は生かしておいてください。
この件が片付くまではせいぜい役にたって頂きましょう…」

「………ッ!」
まるで世間話をするように次々とキルヒアイスから告げられる言葉に
ケスラーはただ顔を青ざめるより他はなかった。

”この方あってのローエングラム王朝か…”
ラングがここで見たジークフリード・キルヒアイスという人物は
オーベルシュタインから聞いていた以上の人物だった。

オーベルシュタインと同じくしてこの目の前にいる人物もまた必要悪としての自分の存在を認めている。

”…ならば、この身をもってそれを証明せねばなるまいて”
これはラングに与えられた最後の復帰の機会である。
キルヒアイスの言葉にラングは一礼をもってその任を受けたのだった。

そしてこの場をラングに預け、キルヒアイスはケスラーを連れて退出してゆく。

「ケスラー憲兵総監…あなたはフェルナー准将と連絡をとって連携をもってこの任にあたって下さい。
一刻も早くこの件を終わらせなければなりません」
「承知しました…しかし元帥。よろしいのですか、あのような危険な輩を…
おそらく他の提督達も黙ってはおりますまい」

ケスラーに言われるまでもなくミッターマイヤーを始めとする提督達が
それを聞きつけて自分の元へとやってくる事はキルヒアイスにも予想はついた。

「他の提督達には私からお話します…あなたはどうかこの件にのみに全力を尽くしてください」
キルヒアイスとケスラーはそんな会話を交わしながらヒルダの待つ控え室に到着すると
そこで待っていたヒルダにキルヒアイスが声をかける。

「お待たせしました、フロイライン」
そう言ってキルヒアイスはヒルダを連れて獅子の泉に戻るべくその場を離れたのだった。

キルヒアイスがその日の仕事を片付けた頃には
早速その話を聞きつけたミッターマイヤー達が会議室に集まって来ていた。

「一体どういうつもりなのだ、キルヒアイス元帥は…ッ!」
口火を切って大声で一声を投じたのはビッテンフェルトだ。
席から立ち上がってその身を奮い立たせながら怒りを露わにさせている。

「…抑えて下さい、ビッテンフェルト提督」
「抑えろだと…ッ!?」
傍にいたミュラーが立ち上がったビッテンフェルトを軽く嗜めるが
ビッテンフェルトはそれを振り払うようにさらに声を荒げて言葉を続けた。

「これが抑えていられるか…ッ!あのラングだぞ!?
いつまた我々に事を起こすか知れたものではないわッ!!」

ロイエンタールの謀反の件はロイエンタールに限らずとも
その情報操作はおそらくその名を変えて行うことも出来ただろう。

もしかするとそれは自分であったかも知れないのだ。
ビッテンフェルトのその言葉にそこにいる提督達もまた沈黙をもってそれを肯定するしかなかった。

一同が沈黙する中、その沈黙を破ったのはその事件の当事者であるロイエンタールだ。

「しかし…よりにもよってあのラングを使うとは。キルヒアイスもまた随分と思い切ったことをする」
以前ラングによって謀反人に仕立てられそうになったロイエンタールが苦笑混じりにそう口にすると、
ケスラーからの連絡を受けたミッターマイヤーが言葉を続けた。

「ケスラーもお手上げだったようだ…まあ、無理もあるまい。
地球教関係者はその場で服毒自殺、残されたのはヴェスターラントの麻薬中毒患者だけときては、な…」

「オーベルシュタイン、貴様のせいだ…ッ毎度ながらその冷徹な頭脳はろくな事には働かぬ!
なぜラングをキルヒアイス元帥に引き渡したりなどしたのだ…ッ」
ビッテンフェルトは黙って席について話を聞き続けるオーベルシュタインに痛烈な言葉を放った。

「…会議でもないのに呼び出しがあったのはその件ですか…ですがその件に関しては、
私は命令に従ったまでのこと。卿にどうこう言われる筋合いはございますまい」
「なにを…ッ!」
その身を乗り出すビッテンフェルトをミュラーが抱え込むように押さえ込む。

「いけません、提督…ッオーベルシュタイン元帥…ッあなたもです。
どうか、これ以上この方を刺激なさいますなッ」

騒然となる会議室の中、仕事を終えたキルヒアイスがヒルダを伴わせてようやくその場に到着した。

「どうしました…?なにやら騒々しいようですが」
「その原因は当然分かっておるのだろう…キルヒアイス主席元帥」
キルヒアイスは自分を見つめる一同を確認するように視線を向けると
ロイエンタールの一言に席について言葉を返した。

「…会議でもないのにここへ皆様がお集まりになられたのは、ラング局長の件ですか」
「左様…ッ卿はなにを考えておるのだ。正気の沙汰ではあるまいッ!!」

そう言ってキルヒアイスに迫るビッテンフェルトは
これまでに何度かキルヒアイスに助けられたことがある。

戦場においてもそうであったし、ラインハルトからの叱責を受けた時も
そしてオーベルシュタインをその感情のままに殴ってしまった時も、
いつも助けに現れたのはラインハルトではなく目の前にいるキルヒアイスだった。

口に出さずともビッテンフェルトはキルヒアイスに感謝をしていた。
以前とは違い今ではビッテンフェルトもキルヒアイスを
ラインハルトの傍にふさわしい唯一の存在として認めている。

だからこそラングの件に関してもなんらかの意図がキルヒアイスにあることは
ビッテンフェルトには分かっていた。

だがそれでもあえて何故ラングなのかとビッテンフェルトには問わずにはいられなかったのである。

「…クックク、クククク…」
キルヒアイスがその手を机の上に組んだまま下を向いて小さく笑い声を上げた。
その様子に怪訝な顔で皆が下を向いて笑い声をあげるキルヒアイスの顔を伺おうとする。

「キルヒアイス…?」
「…いえ、失礼。ですが、正気の沙汰と申されましても
私は自分が正気のある分別をもった人間と思ったことなど
今までにただの一度もなかったものですから…つい」

キルヒアイスがそんな自嘲めいた言葉を口にした。

普段から陛下の傍で続けてきたキルヒアイスのこれまでのあらゆる働きは誰もが認めるところにある。
また、その仕事振りだけでなくその身に穏やかな空気を抱くキルヒアイスは
気性の荒いラインハルトと皆との緩衝剤ともいえる存在だった。

ビッテンフェルトに限らずともここにいる誰もがキルヒアイスに
数え切れないほど助けられている。

「なにを言っているのだ…ッキルヒアイス」
ミッターマイヤーの動揺の声にキルヒアイスは皆にまるで昔話を聞かせるようにその言葉を続けた。

「そう…あれは、確か10歳の時でした。
陛下が宇宙への志をお立てになってその手を私に差し出されたのは…
その時ここにいる誰よりも早く私はこう言ったものです…マイン・カイザーと」

「………ッ!!」
「その時より私は自分が至極正気であったとは到底思えません…」

10歳の子供にその膝をつけ絶対の忠誠を誓ったキルヒアイスは
その信念をもって今はその新帝国における最重要の地位にある。

皆が信じられないものを見るようにキルヒアイスを見つめていた。

そしてそのままキルヒアイスは机に載せた手を膝元に置き変えると
いつもの口調でここにいる全員に向かってはっきりと宣言した。

「ラング局長は私の直属におきます…再び事が起こらぬよう、
組織自体もそれに伴った体制に改変させその発言権は私の名のもとにその一切を封じます…
私は、これを機に陛下に害をなす存在を一気に葬り去るつもりです」

会議室がその言葉に一瞬で凍りつく。

この時、そこにいる全員が今まで陛下の盾となっていたキルヒアイスが
その盾を剣へと持ち替えたことを知った。

「あの方を害するものにかける容赦を私は知りません…」

表情もなく淡々と告げられる言葉の数々に全員が息を呑む。

いつもと同じ口調で語られるその言葉は
感情が篭らないことがさらにうすら寒く感じる恐ろしいものだった。

それだけ告げるとそのままキルヒアイスが席を立ち上がる。

「…そろそろ陛下がお目覚めになる頃ですので、私はこれで失礼致します。
ロイエンタール元帥、私についてきて貰えますか?」
「キルヒアイス?」

「あなたとラング局長は浅からぬ因縁がお有りです…
私の方から納得のいく説明をさせて頂きましょう。どうぞこちらへ…」

キルヒアイスの呼びかけにロイエンタールは立ち上がってその後を追い、
そのまま二人が会議室から退出すると再び残された面々で話が続いた。

「…そら恐ろしいものを見てしまったような気がします」
そう言葉を漏らしたのは少し顔を青ざめさせたミュラーだった。

「陛下の無残なお姿を毎日目の当たりにしているのだ…当然の事かも知れんが、あれは苛烈を極めるな…」
「よもやあれほどとは…」
ミッターマイヤーの言葉にファーレンハイトが同調する。

その話を否定するように割って入ったのはキルヒアイスの部下であるベルゲングリューンだった。

「…あの方の恐ろしさはすでに分かっていたことです。皆様はカストロプ動乱の件を覚えておいでか?」

「カストロプ動乱というと…たしか、前帝国皇帝より勅命を受けて
キルヒアイスが初出陣をした時のものだな?」

「そうだ…あれは一度目の出征に失敗後今度はキルヒアイスが出陣して1度目の出征の時の半数で
半年かかった動乱をわずか10日で無血開城させたのだ」

皆が思い出すように口々にその時の話題を口にする。

それは今では「奇跡のヤン」のイゼルローン奪還に続く
伝説の一話として巷で語られている話であった。

しかしキルヒアイスとともに動乱に参加していた
ベルゲングリューンから言わせるとどうやらそれだけではなかったようである。

「血は流れました…マクシミリアン・カストロプ。動乱の首謀者です」

「それは知っている。だが、他に血は流れなかったのだろう?
しかもわずか10日間で終わったともなれば…無血といってもいいだろう」
「あのキルヒアイスのことだ…敵味方、共に無駄な血を流させることはすまい…」

「事実はその通りです、ですが、違うのです…ッそうではないのです」
皆の言葉を遮るように話し出すベルゲングリューンにその場にいる一同はその耳を傾けた。

そう、あれは閣下がマクシミリアン・カストロプに降伏勧告をした時のことでした…

キルヒアイスの降伏勧告に対しマクシミリアン・カストロプは大胆にも映像を送りつけてきた。

そこには年端もいかない子供達が何人も裸のまま鎖で繋がれ
それを弄ぶマクシミリアン・カストロプの姿があった。

その姿をキルヒアイスに見せつけた上に自分より年若なキルヒアイスを嘲笑うかのように
マクシミリアン・カストロプは降伏勧告を跳ね除けたのだ。

『…そのまま惑星ごと滅びなさいッマクシミリアン・カストロプ…ッ!』
それに対してキルヒアイスはそう一声告げるとその後の通信の一切を絶った。

これ以後再びキルヒアイスから降伏勧告を出されることはなくなり
全面無条件降伏以外の相手からの通信以外を受け付けなくなった。

そしてそのままキルヒアイスはカストロプの門地を守る
最新防御システム「アルテミスの首飾り」を瞬時に消滅させる。

「アルテミスの首飾り」とはその頃同盟の首都星・ハイネセンでも使われていた最新兵器であり、
フェザーンからそれを買い受けたカストロプはその防御に絶対の自信を持っていた。

現に以前やってきた帝国艦隊をカストロプはそれを持って返り打ちにしている。
だが今回はその時よりも半分の艦隊によって瞬時に消滅させられてしまったのである。

「…攻撃停止命令がでたのはカストロプ側からの全面降伏が出てまもなくの事です。
辿りついた私達が目にしたのは見るも無残に変わり果てた
マクシミリアン・カストロプのめった刺しにされた姿でした。
閣下のお言葉に恐怖を感じた臣下の者達によって彼は虐殺されたのです。
目の前に現れた閣下に膝まづいて彼らはこう言いました…」

…我々は悪虐の統治者から救われたのだ、と。

「………ッ」
「それ以後、略奪もそれに類する行為も一切行われませんでした。
閣下から全艦隊に向けて命令が発せられたからです。命令違反は全て極刑に処す、と…」

艦隊の中にも赤毛の若い将校を嘲笑うものは最早何処にもいなかった。
その時マクシミリアン・カストロプの恐ろしい死に様を皆の目に焼き付いていたからである。

キルヒアイス艦隊は今も健在でその艦隊は無敵艦隊として今や帝国最大規模を誇る。
ラインハルトによって現在キルヒアイスは帝国艦隊の半数をその指揮下に置くことも許されていた。

「…あの陛下がお認めになってお傍におく以上、
閣下がただ者でないのは至極当然のことであったのかも知れません…」
ベルゲングリューンは話の最後をそう締めくくるとその目を伏せて下を向いて沈黙してしまう。

その話を聞いた一同は今までそこに座っていたキルヒアイスの席をじっと見つめていた。
普段はまるで感じさせない穏やかなキルヒアイスの姿に
そんな一面があったことなど今までの彼らは知る由がなかった。

だが彼らはじきにそれをまた改めて知る事になるだろう。

「この件…このままでは済むまいな」
そう告げるミッターマイヤーに一同は目をあわせて頷きを返した。

それからまもなくして、キルヒアイスに連れられて出て行ったロイエンタールが会議室へと戻ってきた。

「ロイエンタール…ッ」
「…ミッターマイヤー」
壁際に身体を支えるように顔を覆ったままのロイエンタールがようやくミッターマイヤーの姿を確認する。

「しっかりしろ、ロイエンタール…ッ!一体、なにがあったのだ…ッ」
皆がロイエンタールを囲むように集まってきた。

ロイエンタールの顔色がいつにも増して青ざめている。

「まさか、オマエ…陛下のご様子を見てきたのか…?」
「…いいや、違う。あれは陛下などでは断じてない…そうであってたまるものか…ッ!!」

大きく首を振ってすぐさまロイエンタールがミッターマイヤーの言葉を否定した。
そこから皆は想像を絶するラインハルトの今の状態を理解する。

「許すまい…決して許すまいぞ…ッ!」
ロイエンタールがその胸の内にあるおぞましさを吐き出すようにその言葉を口にした。

今もなおその状態のラインハルトの傍にキルヒアイスはいるのである。
キルヒアイスが手段を選ばないのにはそれ以上の理由があったのだ。

騒ぎが収まらないまま退出しようとするオーベルシュタインに
ミッターマイヤーがロイエンタールのその身を支えながら声をかける。

「卿はこの件…どう読む?」
「…これは見せしめだ、陛下に手を出そうとする者達への…」
オーベルシュタインの中で以前ラインハルトのいった言葉が頭をよぎった。

『キルヒアイスは私自身も同様だ』
”そう…確かにあれはナンバー2などと呼べる代物ではない”
それだけ告げるとオーベルシュタインはそのまま会議室を出て行ってしまった。

ロイエンタールはオーベルシュタインが退出すると
その身をミッターマイヤーに支えられながら今見てきたことを回想する。

”オレは今恐怖を感じている…陛下以外の存在に…”
そんな言葉を心の中で呟きながらロイエンタールはここを出てからの自分を振り返り始めた。

2.歪んだ真珠-3
「ジーク…」
「大公妃殿下…こちらにおいででしたか?」

ロイエンタールを伴わせてラインハルトのもとへ向かっていたキルヒアイスにアンネローゼが声をかけてきた。
「…また、あの子が寝込んでいると聞いてケーキを焼いてきたのよ。
まだ面会は出来ないとキスリング隊長に言われて直接あなたに持ってきたの…あの子と一緒に食べてね」

「それは、わざわざ有難うございます…」
そのままキルヒアイスは笑顔で礼を述べるとアンネローゼも笑ってそれに答え
傍にいるロイエンタールに軽く挨拶をしてその場を去ってゆく。

「大公妃殿下には、まだ何もお話していないという訳か…」
「その必要はございませんでしょう…お心を痛めるだけですから」
キルヒアイスは視線だけロイエンタールに向けてそう答えラインハルトの寝室へ向かうべくと再び歩き始めた。

ラインハルトの寝室の扉の前に二人が到着するとキスリングがそこで警護にあたっていた。

「ご苦労さまです…どうやらお休みになられたようですね、キスリング隊長。なによりです」
「は…ッ!元帥、どうやら陛下が目をお醒ましになった模様です。
中はご命令通り覗いてはおりませんが、先程からなにやら物音が…」

キスリングのその言葉にキルヒアイスは頷いて返事を返すと
そのままドアの鍵を開けてロイエンタールと寝室へ入ろうとする。

「…キルヒアイス元帥ッ」
慌ててそれをとめに入るキスリングをキルヒアイスがその手で制した。

「よいのです…私がお連れしました。
ここはあなたにおまかせします、キスリング隊長…ではどうぞ、ロイエンタール元帥」
キルヒアイスがドアを開けてロイエンタールを部屋へと招きいれる。

そこでロイエンタールが目にしたものは
想像の範疇を遥かに超える信じられない光景だった。

「……これはッ!?」
そこには両手足をベッドに括り付けられたラインハルトのあられもない姿があった。

ラインハルトが動物のようにその身を暴れさせている為にベッドが激しく揺れ動き
口元も布で覆われてその声を出すこともままならない状態になっていた。

キルヒアイスがそんなラインハルトに動じることもなく近寄っていき、
いつも笑顔でラインハルトに話しかける。

「陛下…大公妃殿下からケーキが届けられましたよ。後で一緒に頂きましょう…」
「んーッんん…!!」
そのケーキをラインハルトの枕元にあるサイドテーブルの上に置くと
キルヒアイスがラインハルトの顎を押さえてそのまま上へと向かせる。

「…いけませんね。口元が布で擦ってしまって傷になっています」
そういうとキルヒアイスは机の引き出しから軟膏を取り出すと
その指でラインハルトの唇に軟膏を塗りつけた。

入り口で青い顔で立ち尽くすロイエンタールにキルヒアイスがラインハルトを抱えたまま
自分の寝室でもあるつづきの別室に首を振って合図を送る。
「…お話はあちらの方で」

ロイエンタールは席につくとうつむき加減にキルヒアイスに話しかける。

「卿はなぜいつもと同じ態度であの陛下に接することが出来る…キルヒアイス」
「…そう見えているだけですよ。
それに、ああして拘束しておかねば暴れるだけでなく自傷行為もしてしまわれるので」

そう言ってキルヒアイスはラインハルトの寝室を眺めながらロイエンタールに答えを返した。

「今の陛下のお姿を私があえてお見せしたのはラング局長の件に対し
あなたに不快な思いをさせてしまった理由を説明するためです…
私には上手く言葉にすることが出来ませんでしたのであなたには…直接その理由を見て頂きました」

ロイエンタールはその言葉にようやくその顔を上げてキルヒアイスの話を聞き始める。

「…私でも、あなたでもここにいる人間には無理なのです。
陛下をこのような状態にした関係者である彼らの前にあっては
おそらくその眉間に銃口を向けずにはいられないでしょう…」
「それであのラングをか…」
吐き捨てるように答えるロイエンタールにキルヒアイスが相槌をもってそれに答えた。

「そうです…まだ彼らを殺す訳にはいきません。
我々は一刻も早くその情報を聞き出してその首謀者を捕らえなければなりません…しかし
我々には彼らを殺すことは出来ても殺さずの術は持ち合わせていません」
「…殺さず、か」

キルヒアイスもロイエンタールも戦場においては
その手で敵を殲滅させることは出来ても拘束された無抵抗な人間に
殺さずに一方的な苦痛を与え続けることなど出来はしない。

「…あなたは以前、ラング局長によって謀反人に仕立てられることよりも
自ら謀反人になることを選ぼうとしました…どうか、陛下の御為に今一度」
「もういい…わかった、キルヒアイス…この件、ミッターマイヤー達はオレが説得させよう」

「有難うございます…」
キルヒアイスの意図を先に読んだロイエンタールの言葉にキルヒアイスが頭を下げて礼を述べる。
「卿が頭を下げること必要はない…陛下を、頼む」

ロイエンタールはそう言って立ち上がって部屋の出口へと向かい、
一度キルヒアイスの姿を確認するように背中越しに目を向けるとそのまま扉を開けて部屋を出た。

ロイエンタールは部屋を出た後、ラインハルトのあまりの姿に堪えきれなくなったのか
身体を震わせながら壁によりかかりその身を少し屈ませ
その手で今見てきたものを全て押さえ込むように口元に抑え込む。

ロイエンタールのそんな様子に寝室の入り口にいたキスリングが慌てて駆け寄ってきた。

「閣下…ご覧になられましたか」
「よくも…よくも、あの状態で平然としていられるものだ…キルヒアイスはッ」
キスリングに抱えられるようにロイエンタールは崩れ落ちそうになる身体を支えた。

「昨夜から、陛下の聞いたことのない悲鳴のような絶叫を何度も耳にしました…
それを目の当たりにしているキルヒアイス元帥の心中は私如きには察しきれません」

キスリングの言葉にロイエンタールもまた痛いものをみるように閉ざされた扉をみる。

「…戻らねば。皆が会議室にまだ残っているはずだ」
そうしてロイエンタールはその身を奮い起こしてその場を立ち去ってゆく。

”よくも…陛下をあのような目にッ”
今のロイエンタールにはラングの問題などどうでもよくなっていた。

打ち消しても浮かんでくるのはラインハルトの禁断症状に苦しむその姿。
自分が唯一の主と認め、その絶対なる存在を打ち壊そうとする存在はロイエンタール自身の敵でもある。

自分がどうやって会議室に戻ったのかはっきりしないほど不確かな足取りで
ロイエンタールは皆の待つ会議室に戻ってきたのだった。

回想を終えて少し頭をすっきりさせたロイエンタールはようやくその口を開いて皆に告げる。

「…皆、聞いてくれ。今は形振りなどかまっていられぬ…ッ
この件は一刻もすみやかに終わらせなければならない、
陛下が我々のもとにお戻りになるまでに…なんとしてでもッ!!」

ロイエンタールの言葉に皆がはっとする。

そしてやっと気づく。
自分達にも今出来ることはあった。

ラインハルトが戻るまでになんとしてでもこの件を終わらせることである。
そして2度とこのようなことを起こさせてはならない。

キルヒアイスはこれを機会にそれを全て一掃するといったのであれば…

「…陛下のことは、キルヒアイスにまかせるか」
「そういうことだ…我々のすべきことは唯一つ…」

”皇帝陛下の御為に…”
皆視線を交わしてそれを確認するとばたばたと慌しく会議室を出ていった。

「ケスラーに連絡を…ッこれまでに得た情報の全て聞き出すのだ!」

こうして獅子の泉は再びその静けさを取り戻し夜を迎える。
だが長い夜はまだその夜明けの気配すら感じさせない状態にあった。

ロイエンタールが退出するとキルヒアイスは制服から私服に着替えて
そのままラインハルトの待つ寝室へと向かった。

寝室に入るとラインハルトがなんとかその身体を動かして自力でケーキの箱を開けていた。
そこにあったペーパーナイフで自らを拘束する手足の布を切ろうとしている。

「…そんなものでは切れませんよ、ラインハルト様」
そういってキルヒアイスはそのペーパーナイフをラインハルトから取り上げると、
恨めしそうな強い視線でラインハルトがキルヒアイスを見やる。

「そんなお顔をされても無駄ですよ…いった筈です。
あなたのその身を解放することが出来るのはあなた自身だと…
あなたにはそれを早く思い出して頂かなければ」
キルヒアイスはラインハルトの顎を上げさせると口元の傷に目をやった。

「ん…うッ」
そっとキルヒアイスがその傷口を舌で舐め上げる。

「それに、お体に傷をつけてはなりません…それはたとえあなた自身であっても許しませんよ。
今度ラング局長にでも言ってあなたにぴったりの拘束具でも用意させましょう」

キルヒアイスがラインハルトにそう告げて取り上げたペーパーナイフで
アンネローゼから貰ったケーキを切り分けた。

そしてラインハルトの口元を覆った布をキルヒアイスはそっと外してやると、
口の自由を手に入れたラインハルトがその首を振るようにまた叫び声を上げ始めた。

「あーッあッああああ…!」
キルヒアイスが口を開けたラインハルトの顎をそのまま固定させその口にケーキを放り込み、
ケーキを吐き出さないようにその口を白い手袋をした手で押さ込む。

「んー…ッんんッ!!」
「美味しいでしょう…?あなたの大好きな少し苦味のあるガトーショコラですよ」

食事も取らず薬を欲しがるラインハルトに無理やり食事をさせるにはこのようにするしか出来ない。

身体が疲れて眠っている間は禁断症状もなりを顰めるが
禁断症状が身体の疲れを上回るとまたすぐに禁断症状がラインハルトを襲った。

キルヒアイスが眠っているラインハルトに栄養剤と点滴を施しているが、
目を醒ますとたちまちそれはラインハルトによって外されてしまう。

だから不十分な時はこうやってキルヒアイスが無理やりラインハルトに食事を取らせるのである。

抑え込んだラインハルトの口の中からどうやらケーキを食べ終えたのか、
食物を飲み込んだ音と同時に膨らませた頬がおさまりを見せ
キルヒアイスがラインハルトの顎を抑えていた手を解放すると
口の中に僅かに残ったケーキの残骸をラインハルトが吐き出した。

キルヒアイスが汚れたラインハルトのその口元を手で拭い取る。

「…お行儀が悪いですよ。ラインハルト様」
「うあ、ああー…ッ!」
その言葉にラインハルトがキルヒアイスの手に思い切り噛み付いた。

「……いッあ」
「これは失礼…ラインハルト様」
キルヒアイスが着けていた手袋は軍用の手袋でその素材には金属が組みこまれている。

それを思い切り噛んでしまった為ラインハルトは痛みに顔を顰めたのだった。
その姿に苦笑しながらもキルヒアイスが手袋を外した。

「ですが…あなたがいけないのですよ?
私の甲に爪跡など残すから…今朝はフロイラインに見つかってしまいました」
そう言ってキルヒアイスはラインハルトにケーキを食べさせ終えた。

「うーッ…ああ…あ」
「…さて、どうしたものか。口元をまた布で覆ってその唇の傷が化膿してはいけませんし…
かといってまた自分の舌を噛むようなこともされては困ります。
声を上げすぎても喉を痛めてしまいますから…」

キルヒアイスはそんなことを口にしながら
ラインハルトに身体を重ねて暴れる身体を抑え込んだ。

すると昨日の行為をその身に覚えていたのだろうか、
ラインハルトは叫び声を上げるのをやめて今度はたちまち恐怖に震えだす。

そしてキルヒアイスに懇願の表情を浮かべて見つめ返してきた。

「おや…どうしました?さっきの威勢はどこへいったのです」

”禁断症状を抑え込むのはそれを上回る痛みと…そして恐怖ということか”

自分がそれを上回る存在になるとは…

そんな思いにかられながらもキルヒアイスはラインハルトに顔を近づける。

「う…ッや、あ」
「…そうだ、こうしましょう」
キルヒアイスは思いついたようにラインハルトの顎を固定させたままその唇をあわせた。
顎を固定するのは、舌を噛まれないようにするためである。

舌を絡めとられ呼吸もままならなくなったラインハルトから苦しそうな声が漏れた。

「ぐッ…うッううー」
「フフ…クリームがこんなところにもついていますよ、ラインハルト様…」
キルヒアイスが目元についたラインハルトのクリームをそのままその舌で拭いとり、
空いた片手でラインハルトの下肢に触れるとそのまま一気に下半身を覆う衣服を引きずり下ろした。

一瞬にしてラインハルトは露わになった下半身をキルヒアイスに晒すことになる。

「…あッ、やあああッ」
「あなたが全て思い出すまでこれは続けます…嫌なら早く正気に戻ることです」

そしてそのままキルヒアイスは自分のベルトを緩め
昨夜と同じように何の準備もしないままラインハルトの中に自身の楔を埋め込んだ。

その痛みから発せられるラインハルトの絶叫は合わされたキルヒアイスの口の中へと消える。

しばらくして長い行為にラインハルトが気を失うようにして眠りについた。

そんなラインハルトを見つめながら
キルヒアイスは嗚咽を封じるように口元を抑え込む。

”一体いつまで続くのか…
このままでは私の方が先に気が狂ってしまいそうです…ラインハルト様ッ”

二人をある日突然襲った暗闇はなお深みを増すばかりだった。

得体の知れない恐怖にとりつかれたままキルヒアイスは
ラインハルトから目を離して窓に映る月を見上げる。

あなたは以前月を見る私におっしゃいましたね…

自分以外の存在にその目を奪われてはならないと。

ですが、今はどうぞお許しを…
あなたが眠るこの間だけ、私が月を見ることを

月を見ているとラインハルトとのかつての思い出がキルヒアイスの中に甦ってくる。

”…ああ、気付いたことがあります。私を照らすあの月、そうだ、あれはあなただ…ラインハルト様”

闇夜を切り裂くような明るい満月が煌々と
その光でキルヒアイスの心の暗闇を満たすようにその姿を照らして続けていた。

3.悪魔と踊れ-1
こんな月のない夜は私はあなたの存在を見つけられず
自分の存在を暗闇の中で見失って分からなくなってしまう時があります

いつもあなたは私にそれと気付かず傍にいて
私をずっと照らし続けてくれていたのだと

私は今そんな風にあなたを想うのです

人間の血を流すものは自らの血もまた流すことになる
創世記第9章6節─

そのときラインハルトは暗闇の中にいた。
身動きすることもままならずただ干乾びた喉はなにかを求めその精神は飢餓の中にある。

暗闇の中を這ってただ闇雲に前とも後ろとも知れぬ中を
ひたすらどこかを目指してラインハルトは蠢いていた。

『苦しい…オレは、なにかを探している。この闇の中に一体なにがあるというのか』
誰かが自分を呼んでいる。
心の中から急かされるようにラインハルトはその存在を探し求めていた。

『…ここは、どこなのだ。そしてそれは何なのだ』
息が出来ないほど苦しく求める存在を求めてラインハルトはもう随分長いことその暗闇を彷徨っていた。

『果たして、それは存在するのか…』
答えの見つからないままラインハルトはそのまま暗闇の中を迷走し続けていた。

”…また、熱があがった”
その日の夜もキルヒアイスはラインハルトの看病を続けている。
薬物に侵され禁断症状に苦しむラインハルトの世話をしながらキルヒアイスもまた共に苦しんでいた。

禁断症状から引き起こされる幻覚から発狂してしまう者も多いという。

幻覚から逃れさせるようにキルヒアイスは
ラインハルトの身体に禁断症状を上回る痛覚を与えることによってそれらを押さえ込む。

だが、その行為によって苦痛を感じていたのは
誰よりもラインハルトを大切に想っているキルヒアイスの方だった。

キルヒアイスは発熱して汗を掻くラインハルトの身体を拭いながらいたたまれない気持ちに苛まれていた。

そしてこのまま元には戻らないかも知れないという不安を
キルヒアイスは必死でかき消そうとしていたのだ。

「…キル、ヒアイス」
ラインハルトがかすかに声を上げてキルヒアイスを呼んだ。
その声にキルヒアイスは驚きの中懸命にラインハルトに呼びかける。

「ライン、ハルト様?…ラインハルト様ッ」
熱と薬による禁断症状の中意識が薄れようとするラインハルトに
キルヒアイスは何度も名前を呼び掛けてラインハルトの身体を抱え込むようにしてその身を揺らした。

「キル…ヒアイス…」
「ラインハルト様…ッ!」
ラインハルトが意識を取り戻した瞬間だった。

ラインハルトがその意識を必死に保とうとしながらゆっくりと辺りを見回すが
身体中に酷い痛みもあって身動きすらまともに出来ない。

そしてそれは自分の身体が拘束されているからだということにラインハルトはようやく気がついた。

「…これ、は?なにが、あった?」
「あなたは今…薬物の禁断症状に襲われているのです。
体を傷つけないために…やむなく、申し訳ありません」
キルヒアイスが慌ててその拘束を解こうと括りつけたベッドへと手を伸ばした。

「…いや、いい。まだ…このままで」
「…です、が」

「いいんだ…キルヒアイス。
どうやら、まだその禁断…症状とやらは、おさまってはいないようだ…」

ままならない自分の身体。
乾いた喉が求めていたのはまさか薬だったとは…

ラインハルトはそのまま苦しくてまた意識が飛んでしまいそうになる。

「…ラインハルト様ッ」
「また、オマエにいらぬ心配をかけてしまったな…すま、ない」

ラインハルトは今苦しいのは自分だけではないことを分かっている。
いつも自分を大切に扱うキルヒアイスが自分のこの状態になんとも思わない筈がない。

「…だが、もう少し辛抱してくれ。オレは…オマエと、一緒にいたい」
「は…い、はいッラインハルト様」
キルヒアイスは拘束しているラインハルトの手をとって何度も深く頷きを返す。

「それでは、身体は拭きましたので…熱冷ましのお薬を」
ラインハルトが抱きかかえられるようにキルヒアイスに支えられ
熱冷ましの薬を口に入れられるとグラスの水を含みその薬を飲みこんだ。

「ん…ッ」
ラインハルトの熱によって干乾びた喉が冷たい水によって徐々に潤っていく。
だが今ラインハルトのその乾いた喉が本当に求めているのはそのようなものではなかった。

「お辛いとは思いますが…どうか、今暫くのご辛抱を」
「………?」
そういってキルヒアイスがラインハルトの身体をベッドに横たえさせると
ベッドの枕元にあるサイドテーブルから塗り薬を取り出した。

「な、なに…ッ!?キル、ヒ…アイス?」
「どうかそのままで。すぐに終わります、薬を塗るだけです…」
キルヒアイスの手がラインハルトの下肢へ及んだ。

キルヒアイスが薬を塗ろうとしていたのはキルヒアイスがこれまでの行為によって
傷つけてしまったラインハルトの腔内である。

「…い、いいッ大丈、夫、だから…ッキルヒ、アイス…ッ!」
「駄目です…早く手当てをしないと」

一昨日から続けた行為によってラインハルトのそこは傷ついた状態にあった。
出血は止まっていたもののその痛みはさぞ酷いものであったことだろう。

「い、いい…いや、やめ…っあ、ああッ!」
キルヒアイスが赤くなったラインハルトの入り口にそっと薬を塗った指を摺り寄せる。
おそらくラインハルトのその中も傷ついているに違いなかった。

「…い、痛ッ…い」
ラインハルトの瞳に涙が浮かぶ。
触れるだけでもその痛みは相当なものであったようだ。
そんなラインハルトの様子を確認するとキルヒアイスは薬を塗りつけたその指をそこから離した。

そして今度はその顔をラインハルトの下肢へと近づけていく。
そこから先を悟ったラインハルトが慌ててキルヒアイスを止めるべく声をかける。

「馬鹿…ッよせ、キルヒ…アイス…ッ」
キルヒアイスの舌がラインハルトの入り口を撫でるように触れた。
キルヒアイスがよく見るとそこはやはり酷い状態にあった。

”…酷いことを”
キルヒアイスはその舌で癒すように入り口に薬を塗り込み始める。

「は…あッ、やめ…ん、んっ」
拘束されたラインハルトにはその行為から逃れる術もなく
ひたすらキルヒアイスの行為を受け入れるしかない。

そのまま今度は薬を塗り込めたキルヒアイスの舌が入り口から奥へと差し込まれる。

「駄目、…だッキル…ヒ、アイスッ」
ラインハルトの制止の声もキルヒアイスは聞くこともなくその薬を奥へと塗り込み続けた。

これは治療の一環であることはラインハルトにも分かっている。
だがこれまでキルヒアイスと数え切れない程に身体を重ねてきたラインハルトの身体は
その行為にも自分の意思とは反して簡単に反応を示してしまう。

「…うッ」
「ラインハルト様?」
キルヒアイスがラインハルトの顔を見上げると
ラインハルトはキルヒアイスの視線から逃れるように顔を背けた。

ラインハルトの顔は瞳を潤わせて羞恥に染まっている。
その様子にキルヒアイスはようやくラインハルトの状態に気づく。

「…あなたのせいではありません。これは…私の、せいです」
今までそういう風にキルヒアイスはラインハルトを抱いてきた。
ラインハルトがそういった反応を見せるのも当然の事だということはキルヒアイスにも分かっている。

そのままキルヒアイスは今度は顕著に反応を示しているラインハルト自身をその口に含み
ラインハルトを解放させるべく口を窄めて扱き始めた。

「や…はッあ、ああッ」
キルヒアイスから与えられる感覚にラインハルトはたまらず何度か身を捩じらせると
そのままあっけなく慣れたキルヒアイス愛撫の前にその全てを吐き出した。

そしてキルヒアイスはそれを飲み干すと唇を舌で拭いながら顔をあげる。

普段と余り変わらない冷静なキルヒアイスの様子に
羞恥に染まった顔をしたラインハルトが恨めしそうな視線を向けて愚痴めいた声を漏らした。

「…オマ、エ」
「さて、そろそろ。お休みを…ラインハルト様」
そんなラインハルトにキルヒアイスは何事もなかったかのようにその身体に毛布をかけてやる。

「…今、どうなってる。外は」
「何事もなく…ラインハルト様が戻られるまで皆、頑張っておりますよ」

「そう、か…」
キルヒアイスがラインハルトのその様子を見届けると、
枕元の机の上においた洗面道具を片付けるためにベッドに下ろしていた腰をあげた。

「…オマエ、ずっといるな?」
「はい…ラインハルト様」
最後にラインハルトはその言葉に頷きを返してそのまま目を閉じてしまった。

まだまだラインハルトを襲う禁断症状はおさまらない状態にあったが
それだけ確認をとったラインハルトは早くその身を治すべく無理やり身体を休めたのだった。

夜が明けるとキルヒアイスは仕事に向かうべく制服へと着替えを済ませる。

ラインハルトは目を覚ましていた。
どうやらほとんど眠ってはいない様子である。

「…ラインハルト様。
寝室の扉の向こうでキスリング隊長がずっと警備をしておられます。
ここからでもけっこうですのでお声をかけてやっては下さいませんか?」
「キスリングが…?」

ラインハルトの禁断症状がおさまるまで
キルヒアイスがラインハルトの居住区から一切の人払いを行ってしまったため、
ラインハルトの身辺を護衛するためにキスリングだけが
ずっとラインハルトの寝室の扉の前で警備をしていたことを
ラインハルトはたった今知らされたのだった。

「…いこ、う」
部屋の奥のベッドから、寝室の扉までは随分と離れている。
扉を閉めた状態では声を張り上げてもその内容までは伝わりにくい。

キルヒアイスはラインハルトの拘束を一時的に解くとラインハルトを抱えて寝室の扉の前へと向かった。

「…キスリング隊長、そこにおられますか?」
「はッここにおります…閣下」
キルヒアイスの呼びかけに外からは変わらずそこにいたことを示すキスリングの返事が即答で返ってくる。

「陛下の意識が戻られました…」
「…キスリング、世話をかけたな」

「陛下…ッ!?」
キルヒアイスの後に続いたその声はまぎれもないラインハルトの声だった。

「だが…もうしばらく頼む」
「…はッ!陛下、警備の方はおまかせくださいッ」
「これから私は出ます、後を頼みます…キスリング隊長」
それだけいうとキルヒアイスは再び寝室のベッドへと向かった。

「…キルヒ、アイス…拘束、具を」
ベッドに腰を落ち着けたラインハルトから出たのは
禁断症状の苦しさからやっとのことで絞り出した小さな声だった。

ラインハルトは震えだす身体をその手でシーツを握り締めて必死で堪えている。

「はい…ラインハルト様」
キルヒアイスが再びラインハルトの身体を再び拘束すると
キルヒアイスは上着のポケットから出したものをベッドの枕元にそっと置いた。

「これは…?」
「砂時計です、ラインハルト様…私がいない間はこれと戦ってみてください」

キルヒアイスのいう戦いとは禁断症状との時間の闘いである。

ラインハルトがこのような状態にある以上
その代理で執務を執り行わなければならないキルヒアイスはずっとその場に居合わせてやることが出来ない。

「それでは、いってまいります…すぐに、戻りますから」
「…ん、待っている」
キルヒアイスがそっとラインハルトの額に唇を触れさせると
ラインハルトは苦しそうな笑顔でそれを受け止める。

そしてそのままキルヒアイスはラインハルトの寝室を後にしたのだった。

キルヒアイスが立ち去ったのを見届けるとラインハルトはその身を襲う禁断症状に身を悶え始める。
ラインハルトはキルヒアイスの前では必死にそれを意思の力で抑え込んでいたのだ。

震える身体を動かしてラインハルトは
口元で砂時計を銜えそれが流れてはまたひっくり返す、それをずっと繰り返し始める。

”苦し、い。これほどとは…だが、やらなくては。
オレ達は今まで誰にも何物にも負けはしなかった…そしてこれからも。そうだろう?…キルヒアイス”

そう心の中に呟きを漏らすと枕元の砂時計を見つめながら
ラインハルトは禁断症状との戦いを始めた。

執務室でヒルダと合流したキルヒアイスは
早速ラインハルトの意識が戻ったことをヒルダに報告した。

その言葉にヒルダは涙を流して噛み締めるようにその喜びを現した。

「ああ…よかった、本当に…陛、下ッ、陛下…」
そしてようやくヒルダの状態に治まりを見たキルヒアイスは
ヒルダからの報告を受けながらその日の執務を開始した。

ラインハルトが意識を取り戻した事は
その日の昼を過ぎた頃には皆の知るところとなっていたのだった。

昼休みにキルヒアイスがラインハルトに食事を届けにいくと再びキルヒアイスは執務室へと戻る。
するとヒルダがそれを待ちかねたように再び報告を始めた。

「キルヒアイス元帥…皆が会議室に集まっております。どうやら例の件、何か進展があったようなのですが…」
「わかりました、いきましょう…」

皆もまた夜を徹してこの件を片付けるべく動いていたようである。
ヒルダの言葉にキルヒアイスは皆の待つ会議室へと向かった。

3.悪魔と踊れ-2
「…きたか、キルヒアイスッとんでもないことになってきたぞ!」
皆が待ちかねた中会議室に入ったキルヒアイスに真っ先に声をかけてきたのはミッターマイヤーだった。

キルヒアイスは自分の席につきながら手を差し伸べてミッターマイヤーに話の先を促す。

「フェルナーからの連絡だ。地球教がフェザーンで誰と連絡を取り合っていたと思う?」
「…アドリアン・ルビンスキーだ」

その後ミッターマイヤーに続いてロイエンタールから告げられた名前に
キルヒアイスは驚愕を覚えずにはいられなかった。

「アドリアン・ルビンスキー…彼は、死んだと聞いていましたが」
「…どうやら、しぶとく生き残っていたようだ」
苦々しくミッターマイヤーがそんな言葉を漏らす。

地球教が連絡をとっていたのはフェザーンの元自治領主であるアドリアン・ルビンスキー。
そこで皆の中にある仮説が成立する。

「100年にも及んだフェザーンの存在は地球教がそのスポンサーだったという訳、か…」

ロイエンタールが代表してそれを言葉に出した。
だがそこまでくれば地球教は一宗教でもテロリストでもない。

もはや新帝国に仇をなす反政府的国家である。

皆の背中に冷たい汗が流れた。

「…つまり、今回の件はルビンスキーが動いたということですね…なるほど」
「そういうことだ…おそらくルビンスキーの居場所は直接ルビンスキーと連絡をとっていた
今ケスラーが捕らえている奴等が知っているのだろう…」

これまでの一連の出来事にキルヒアイスはようやく納得する。

地球教の関与もヴェスターラントの残党勢力を使ったのも全ては
フェザーンの元自治領主であるルビンスキーが裏で工作したものだったのである。

元々自分の領地であったのならば手足もさぞ自由の利いたことだろう。

「どうする?キルヒアイス元帥…」
「…どちらにしろ、このままにはしておけますまい」
ビッテンフェルトとミュラーが顎に手をあてて少し考え込む風になっているキルヒアイスに声をかける。

「航空宇宙局に連絡を…艦隊を太陽系に派遣して地球への運行をただちに全面停止させてください。
地球への出入りは一切立ち入り禁止に…編成はおまかせします、ミッターマイヤー元帥」

「…おいッそれはまずいぞ、キルヒアイスッ」
席から腰をあげて慌ててミッターマイヤーからは反論の声が返ってくる。

地球はすでに地下資源は絶え全ての生活物資を輸入に頼っていた。

地球への運行を全面停止にしてしまうと
そこにいる人々はそこにあるものが尽きるまでの生活を強いられることになる。

”それも全て承知の上ということか…”
だがキルヒアイスがそれを知らない訳もなくそれを承知でいっていることなのだ。

ミッタマイヤーの向ける視線を背けることもなくキルヒアイスは
自分が出した言葉を覆すこと意思がないことをミッターマイヤーにその視線を返すことで答えた。

「飢え死にさせるつもりですか…」
「それではヴェスターラントの核融合ミサイルの方がまだマシというものだ…」
ミュラーとビッテンフェルトの発言に続いてざわざわとそんな言葉が会議室の中から飛び出してくる。

地球にいる者たちが生き残るために想像を絶する諍いが起こることは
ここにいる誰もがそれを容易に想像できた。

「…とりあえずこの件が片付くまでです、それ程時をかけるつもりはありません。
地球教の方にはそれで分かるはずです。
…まさか我々がかつての十字軍のように宗教を弾圧する訳にもいかないでしょうし」

新帝国において思想や種族の弾圧などといった
前帝国の二の舞などは決してあってはならない。

それはラインハルトの望む治世にも反する行いである。

とりあえずキルヒアイスの目的は地球教の動きを封じることにあった。

地球教を押さえ込んでしまえば地球は遥か遠く
その支援をなくしたルビンスキーはうかつにこちらに手を出すことが出来なくなるからだ。

旧同盟と帝国を統一した新帝国の首都がフェザーンにある以上、
ルビンスキーはその活動の支援を地球教に頼らざるを得ないのは自明の理のことだった。

地球も生活の為の物資の供給を新帝国に抑えられたとなれば
たちまち国家への反逆どころではなくなるだろう。

「閣下ッ」
その時会議室にキルヒアイス宛に連絡が飛び込んできた。
キルヒアイスがそのヴィジホンをオープンでボタンを押して聞き返す。

「…なんです?」
「ラング局長からの伝文です”鴉が鳴き声を上げはじめた”とありますが…」

その言葉にキルヒアイスはラングが
麻薬に侵された麻薬中毒の事件関係者たちから証言を得たことを瞬時に理解する。

「それは重畳…お喜び申し上げる。早速お伺いします…と、そうお伝えください」
キルヒアイスはこの連絡を待っていたのだった。

”…それにしてもどうやったのか。
急性の麻薬中毒だったラインハルト様でさえ正気に戻られるのに3日…
先日みた様子では彼らはどうみても常時の慢性中毒患者だった。これほど早くにその回復を見せるとは…”

ラングがさぞ凄い尋問と拷問を加えたのであろうことは
キルヒアイスにもある程度の予想は出来た。

「ラングのやつめ…やったか」
「流石に…今回は、自分の身がかかっているからな。必死だったろうよ」
ラングからの報告に皆がラングへの一様の不安を見せながらそんな言葉を交わしていると
キルヒアイスがその会話を打ち消すように颯爽と席を立った。

「…会議は以上です。私はこれから憲兵総監の下へまいります」

先を急ぐように会議室を去ろうとするキルヒアイスの後ろにつき従うように
ヒルダが皆に軽く一礼をしてその後を追う。

残された面々もまたキルヒアイスの出した指示を実行すべく一斉にその動きを開始し始めたのだった。

用意させた地上車にキルヒアイスはヒルダを伴わせて乗り込むと
移動の間地上車の中でその目を閉じて軽い睡魔に身を任せていた。

”やはり、お疲れになっていらっしゃるのだわ…”
ヒルダは普段のキルヒアイスの様子からは伺い知る事の出来なかった
キルヒアイスの一面をこの数日の間に何度か見る機会があった。

ラインハルトの事はなにも口にはしなくとも
近くでみると彫りの深いキルヒアイスの顔はいつにも増してその深さを増している。

おそらくろくに睡眠をとってはいないのだろうということはヒルダにも察しがついた。

”この方は口や態度に出さずとも誰よりもそのお心を痛めている…
今もきっと出来ることなら陛下のお傍にいたいはず”

キルヒアイスの普段目にすることのないその寝顔を眺めながら
ヒルダはキルヒアイスの心中を読み取っていた。

ようやく二人が到着すると城からすでにキルヒアイスがこちらに向かうという連絡を受けていたケスラーが
やはり出迎えにでていた。

「…ケスラー憲兵総監、よくやってくれました」
「いや、キルヒアイス元帥…まだまだこれからです」
そういってケスラーは控え室へと二人を招く。

そして一通り捜査状況を聞くと事件関係者から直接話を聞くために
キルヒアイスはラングのいる取調室へと向かった。

キルヒアイスはこの時もまた先日と同じ理由からヒルダを控え室においてきていた。

ラングによって拷問を受けた彼らの姿はヒルダのその想像を絶するものだと判断したからである。
取調室に入るとラングがキルヒアイスの姿を確認して挨拶を述べた。

「ようこそ、元帥閣下…」
「う…ッ」
ケスラーが顔を顰めて口元に手をあててその声を塞ぎこむ。
拷問によって傷めつけられた彼らのすさまじい姿を目の当たりにしてしまったからだ。

その姿をケスラーにはどうしても静止して見ることが出来ない。

「…これはまた、随分と努力をなさったものですね」
だがそんな中キルヒアイスは顔色も変えずに
まるで商品を見定めるような口調で彼らに近寄ってその様子を伺っている。

”…よく、あんなもの。静止して見ていられるものだッ”
ラングはともかくキルヒアイスの変わらない態度にケスラーは
キルヒアイスに目をやってそう心の中で呟きを漏らす。

「ケスラー憲兵総監…ご気分がすぐれないようでしたら
フロイラインと一緒に控え室でお待ちいただいてもかまいませんよ?」

キルヒアイスがケスラーにそう告げると
ケスラーはその言葉に承諾してその場を逃げるように後にした。

”ラングめ…まともではあるまいッヤツの前では地獄の番人共も裸足で逃げ出すに違いない…”
ケスラーはそんなことを考えながら早足でヒルダの待つ控え室へと向かった。

ケスラーが去った後、ラングが早速話しを再開させる。

「…このまま脳から直接情報を引き出してもよかったのですが、
どうも彼らはあなたにお話があるようなのでお呼びたてしました」
「私に…?」
キルヒアイスが拷問を受けた彼らの姿を確認してよく見てみると、
それはケスラーでなくとも常人にはとても静止して見ていられるものではなかった。

椅子に拘束されて全身には針のようなものが突き刺されている。

その脇にあるのは輸血ポッド。
ラングが一体なにをしたのか気になるところである。

キルヒアイスのそれを察したかのようにラングはその現状を話し始めた。

「…なに、慢性の中毒患者はやっかいでしてな。
荒療治でしたが急ぎのことでしたので薬に侵された全身の血をそっくり入れ替えてやったのですよ」

麻薬によって痛覚は麻痺して拷問にも堪えない。
そのためラングはその痛覚を刺激するべく全身に針を刺してそのツボを刺激したのである。

通常ならばその痛覚は10倍に達する。

そして、ラングは全身からその血を入れ替え
麻薬によって侵された脳を無理やり正常化させたのである。

「…なるほど」
「あん、たが…責任者か…?」
たどたどしい口調でキルヒアイスに話しかけてきたのはその拷問を受けた人間の一人からだ。

「そうです…」
「なぜ、我々を…殺さ、ない…?」
下から見上げながらかすかにその目に映るキルヒアイスの存在を確かめながら声をかけてくる。

「殺したければ、殺せ…俺達は、もう死んでいる」
「なぜ、死を望むあなた方の望みを私がわざわざ叶えてやらなければならないのです?
それに…あなた方を今殺す訳にはいきません。あなた方には話していただかなければなりません。
アドリアン・ルビンスキーは今、どこにいるのです?」

その言葉にはっとして一人が顔を背けた。
だがキルヒアイスがその手で再び自分の方へと向かせる。

「…知ら、んッ!!」
「いいえ、その様子ではあなたはどうやらそれをご存知のようだ…」
キルヒアイスは相手を凝視したままその言葉に納得することもなく言葉を続けた。

「これはまた随分と血の気の多い…輸血が多すぎたようですね…血抜きが必要なようです」
そういってキルヒアイスは近くにあった空洞のある眺めの太い棒を手に取ると
そのままそれを拷問を受けた身体へと突き刺す。

たちまち血はその空洞から溢れるように飛び出してきた。

「ぐ、うああああ…ッ!」
「…閣下、それ以上すると死んでしまいますよ?大事な証人が」
クックッと笑い声を上げながらラングがキルヒアイスに言葉をかける。

「血が流れればその分また輸血をすればいいではありませんか…」
だがキルヒアイスはそれが当然のような口調で平然とラングの言葉にそう答えた。

「どうです…苦しいですか?それこそあなた方が今死んでいない、生きている証なのですよ。
あなた方を殺してしまうと我々はこうしてあなたに苦痛を感じさせることも
証言を聞くことも出来なくなる…生きていてこそのその苦しみを
その身に味あわせることも出来なくなる、そうでしょう?ですが…困りましたね。
あなた方が話さないとなるとあなた方を地球で待っているご家族の方が
大変なことになってしまうのですよ?」

「な…ッ!?」
その反応にキルヒアイスはやはり、と気づく。
ケスラーの取調が進まなかった訳をここでようやくキルヒアイスの中で納得がいった。

彼らの家族は人質として地球に捕らわれ自らは麻薬を与えられ自由すら奪われている。
彼らは地球教に利用されているのだ。

たとえ麻薬にその身を侵され発狂しようともその家族のために彼らはその死を恐れない。

「私は航空宇宙局に命じて地球への運行を全面停止させました…
これがどういうことかおわかりになりますか…?」
「そんなことをしたら…ッ!」

「そう…大変なことになってしまいますね」
キルヒアイスから笑顔で語られるその言葉に彼らは一斉に顔を青ざめる。

生活物資が供給出来なくなっても人質である自分達の家族に対して
果たして地球教はその生活を保障するのだろうか。

それは有り得ない話である。

おそらく地球教は自らを守るべく保身に走り
皇帝暗殺に失敗した自分達を見捨てて家族も飼い殺しにしてしまうことだろう。

「なんて、ことをッ」
「あなたの調書をみました…まもなく、お子様のお誕生日だそうですね。
お子様の今度の誕生日には蝋燭を何本たてるのです?」

その言葉にキルヒアイスに頭を抑えられた男が
全身を震わせて信じられないものをみるようにキルヒアイスのその姿を見つめ
そしてようやくその口から言葉が漏れた。

「助けて、くれ…」
「…誰に救いを求めているのです?ここには救いの神などおられませんよ。
私が聞きたいのは救いの声ではなく…ルビンスキーの居場所です」

その言葉に凍りついた一同から瞬時に声があがった。

「は、話す…ッ!なんでもッ!!だから、家族を…皆を、早く助けてくれッ」

そうして、彼らは今までの態度を一変させて次々と証言を始めた。

洗いざらいに話すとはまさにこのことである。
彼らは先を争うように証言を口にしていったのだった。

一通り話しを聞き終えてキルヒアイスはそのまま控え室に戻るべくその場を離れ始めると
ラングが自分の役目は終わったとばかりにキルヒアイスのその後へと続いた。

その姿を見届けた一人が立ち去るキルヒアイスに慌てて声をかけてくる。

「待ってくれ…ッオレ達の、オレ達の家族は!?」
「先程も申しましたが…あなた方は一体誰にその救いをお求めになっておられるのです?」
キルヒアイスは必死に追い下がるその声に冷たい一声を放った。

「オレ達は全部、話した…ッオレ達はともかく家族は、関係ない…ッ」
「…皇帝叛逆を企てたリヒテンラーデ候がどうなったかご存知ですか?」

ラインハルトが皇帝になる以前、帝国の実権を手に入れるべく
ロイエンタールによって前帝国の実力者であるリヒテンラーデ候はその身柄を取り押さえられ、
一族郎党ことごとく死罪となった。それは10歳以上の男児にまで到る。

「そ、そんな…」
「あなた方も皇帝暗殺を企てた以上、極刑は覚悟の上のはず…
今更わざわざ私にこのようなことを言わせないでください」

キルヒアイスはそう告げると
そのまま顔を蒼白させて口を明けたまま呆然とする彼らを残し取調室を後にすると
扉の奥ではこの世のものとは思えない男達の絶叫が響き渡っていた。

キルヒアイスが控え室に戻りそれまで団欒していたヒルダとケスラーは
キルヒアイスとラングに気付いてその腰をあげて出迎える。

「どうでしたか…?」
「随分とお話して頂きましたよ?…存外、素直な方たちで助かりました。
ケスラー憲兵総監はルビンスキーの元へただちに憲兵を派遣してください」

ケスラーはその言葉に少し怪訝な表情を浮かべたものの
キルヒアイスとその後ろに控えるラングに視線を巡らせながら返事を返した。

「…承知しました、ただちにそのように手配致します」
そこで今まで後ろに控えていたラングが待ちに待ったかのようにキルヒアイスに声をかける。

「…閣下」
「ああ…ラング局長。あなたもよくやってくれました…
あなたのお望みは以前の職への復職でよろしいのですか?」
キルヒアイスのその言葉にラングはニヤリと笑みを浮かべ頷きを返した。

「はい、これからも新帝国のため、あなたのためお役に立ってみせましょう…」

「…いいえ、ラング局長。それは全て皇帝陛下の御為に」
キルヒアイスのその言葉にラングは一礼をもってそれに答えたが
キルヒアイスはそのラングに釘を刺すことも忘れなかった。

「ですが…以前のような内務に支障をきたす干渉は困ります。
これからは帝国内部の反乱分子にのみその力を注いで戴きたいものです」

「…これはなかなか手厳しいことをおっしゃられる、閣下は。
先程の彼らへの対応といい…中々に、あなどれませんな」
ラングは取調室でみたキルヒアイスの姿を思い返すように苦笑しながらそう答える。

「…私は尋問よりも殺すことが専門なのです。いわゆる私の先程のアレは軍隊仕込みというやつですよ」
ラングの言葉の馴れ合いを突き離すようにキルヒアイスがそんな言葉を返した。

”…どうやら、私はオーベルシュタインよりも遥かに恐ろしい者の下へついてしまったようだ”

オーベルシュタインは道具の一つのように事務的にラングを扱ったがキルヒアイスはまたそれとは違う。
キルヒアイスのそれはさながらに家畜を調教するかのような徹底さがあった。

もう二度と職を奪われるような愚かな行為はすまい、
この仕事こそ自分の天職であり、生きがいそのものであることを
更迭期間で身に染みたラングはそう心に決める。

「私が復職させると決めた以上、次の復職はありえませんよ?ラング局長…」
「…肝に銘じて」
とどめのように告げるキルヒアイスにラングは目を伏せてさらにその頭を深く垂れたのだった。

ヒルダとケスラーはその会話を傍でかいま見ながら
取調室で一体なにがあったのかはまるで想像すら出来ないでいる。

だがはっきりとしていることはラングのキルヒアイスへの態度が確実に変わったということだ。
キルヒアイスの器量を測るような態度から平伏する態度へと。

ヒルダとケスラーがキルヒアイスに伺うような視線を向ける。

「…それでは後はケスラー憲兵総監におまかせして城の方へ戻りましょうか、フロイライン」
そんな二人にキルヒアイスはいつもと変わらぬ穏やかな微笑でそう答えたのだった。

3.悪魔と踊れ-3
ケスラーの見送りを受けながら城へ戻るためにキルヒアイスとヒルダが地上車へと向かった時のことである。

地上車をねらって突如その場にグレネード弾が打ち込まれ
辺りからは煙とともに悲鳴があがった。

キルヒアイスは傍にいたヒルダを庇うようにして
マントに包みこみ腰を低くしてそれをやり過ごした。

「お怪我は…?フロイライン」
「大、丈夫です…」
耳がその轟音ではっきりとしないまま事態を把握出来ていないヒルダはようやくその言葉だけを口にする。
キルヒアイスは無傷のヒルダを確認するとその身を離して立ち上がった。

「キルヒアイス元帥、ご無事で…ッ!?」
「何事ですか?ケスラー憲兵総監」
地上車をみると完全防弾の地上車はびくともしていない。

おそらく目的は騒ぎに乗じて証言者を消すか、あわよくば…

”地球への運行の全面禁止命令を出した私を殺すため…か
それにしても情報が伝わるのが早すぎる…やはりここにも内通者がいるのか?”

元々ルビンスキーはこのフェザーンの自治領主である。
その人脈はそれを可能に出来る程であったのかもしれない。

「ルビンスキーめ…ッ血迷ったか!?ええいッ憲兵たちはなにをしておるか!
早くその不届き者共を捕らえよッ」
ケスラーの声が響き憲兵たちがただちに動き出した、その時だった。

地上車付近でキルヒアイスとヒルダを待っていた警備の者達が
グレネードの衝撃で咄嗟にうつ伏せになった身体を
襲撃者によって背後から身を抑えられその人質にされてしまったのである。

襲撃者達は銃を人質に突きつけながら辺りを見回して
キルヒアイスとケスラー達の姿を確認すると声を大きく張り上げて語り始めた。

「我々の目的は、罪無き罪で捕らえられた同胞を救うことと
地球への運行を停止させた政府への暴挙を止めることにあるッ
責任者はただちにこの要求をのんで貰いたいッ!!」

その言葉にキルヒアイスは腰にあった銃を襲撃者に向ける。

「…なにをしているッこれが見えないのか!」
襲撃者は自分のその身を庇うように人質を抱え込みながら人質に銃口を向けた。

だが、襲撃者達のその言葉は銃を向けるキルヒアイスにさほどの効果を与えることは出来なかった。

キルヒアイスはそのまま迷うことなく銃の引き金を引いた。
辺りには人質の数の分だけ銃声が鳴り響く。

「キ、キルヒアイス元帥…ッ!なんてことをッ」
ケスラーが驚きの声を上げながらキルヒアイスに駆け寄っていくが
だがキルヒアイスは顔色ひとつかえることなく今度は銃口を襲撃者に向けながら話しかけた。

「…さて、今度はどうします?」
「う…」
予想外の展開に襲撃者達も動揺が隠せない。
盾となるべき人質はそのあてを外れてあっけなく射殺されてしまったのである。

だが、襲撃者が反論の言葉につまったのもつかの間だった。
キルヒアイスに撃たれた人質が立ち上がって襲撃者の動きを封じ込んでしまったからだ。

「な、なに…ッ!?」
襲撃者達はたった今撃たれたはずの警備の者たちによって武器を奪われ、動きを封じられてしまった。
それを見たケスラーが慌てて憲兵にそれを捕らえるべく命令を出す。

「奴等の身柄を押さえるのだ…ッ急げ!」
そうして襲撃者達はケスラー達によってあっという間に取り押さえられた。

「…防護服が、役にたったでしょう?」
笑って人質だった警備の者たちにキルヒアイスが声をかけると警備兵は敬礼をもってそれに答えた。

「しかし、驚きましたぞ…キルヒアイス元帥」
そう言ってケスラーがキルヒアイスに溜め息交じりに声をかける。

「すみません、ケスラー憲兵総監…ブラスターの出力を最小に抑えて撃ったのですよ。
これだと防護服がなくとも、そう簡単には人間の身体は貫けませんから」

「…なるほど。左様でしたか、いや…見事な判断でした」
警備の者が倒れたのはブラスターから発せられた衝撃からであり、
防護服を着用していた彼らはその身を一切傷つけることはなかった。

キルヒアイスは傍で驚いたまま座り込んでいるヒルダに顔を向けて手を差し伸べる。

「フロイライン、驚かせて申し訳ありません…大丈夫ですか?」
「は…は、い」
目の前で行われた銃撃戦にヒルダは腰が抜けたように身動きが出来ないでいた。
そんな様子を見て取ったキルヒアイスがヒルダを支えるようにして立ち上がらせる。

「…す、すみません。有難うございます、キルヒアイス元帥…」
「いえ…どうかお気になさらず」
ヒルダの礼に軽い会釈でキルヒアイスがそれに答えた。

「簒奪者の片棒を担ぐ凶悪者どもめ…ッ」
憲兵によって取り押さえられた襲撃犯の一人からそんな声が上がり、
そこにいた誰もが一斉にその姿に目を向けた。

「なにをいうか…ッこの痴れ者めがッ!」
ケスラーがその言葉に猛反発に言い返したが、その襲撃者は怯むことなく更に言葉を続けた。

「あの金髪の小僧は前帝国皇帝に実の姉を差し出してその身を立身出世させた恥知らずなのだ…ッ
所詮どこの馬の骨とも知れぬ輩が皇帝陛下などとは笑わせるッ姉弟ともに正気の沙汰とも思えぬわ…ッ!!」
「…なッ!?」
だがケスラーがそれに答える前に突如再び銃声が上がった。

「ぐっ…がッ…はあッ」
銃はその発言をした襲撃者を狙ったものだった。
襲撃者から上がった声はキルヒアイスが瞬時にその手にあった銃で
そのまま眉間に向けて銃を連続で発射させたために上がったものである。

「…がっ…は、…あッ」
だがそれで銃声はやむこともなく続いて眉間へと打ち込まれていく。
ピンポイントで発射されるそれは額を穿つようにその穴が脳を貫通するまで発射された。

やがてその脳に傷口が達してすでにこと切れた状態にある身体から
声が上がることがなくなるがその身体は続けて発射され続ける弾の衝撃で小刻みに揺れ続けている。

やがてブラスターのエネルギーを使い尽くしたのか
ブラスターからの発射音がようやく止まった。

「…切れて、しまいましたね」
キルヒアイスがそう言って空になった弾装を再び入れ替えると
その様子にいち早く正気に戻ったケスラーが慌ててキルヒアイスを止めに入る。

「キルヒアイス元帥…ッ」
「すみません…せっかくの証言者でしたのに」
そのまま銃を腰に収めるとキルヒアイスは
いつもと同じ調子でケスラーにすまなそうに詫びを述べたのだった。

”金髪の小僧…”
ラインハルトをそう呼んでいたのは旧貴族達であった。
ルビンスキーはありとあらゆるところから人材を調達しているようである。

”アドリアン・ルビンスキー…危険な男だ。このまま野放しにはしておけない、なんとしても捕らえなければ”
キルヒアイスはそんなことを考えながら憲兵によって運ばれる遺体を見送った。

『…私は尋問より殺すことが専門なのです』
先程そういったキルヒアイスの言葉をケスラーとヒルダは思い返していた。

彼らは失念していたのである。
キルヒアイスは皇帝の代理を務めて政務や艦隊を指揮するだけでなく
実戦に於いてもその実力は帝国の誰もが知るところであることを。

普段の穏やかな態度によってそれは覆い隠されてしまうために
皆は自然にその事実を記憶の隅に追いやってしまうのだ。

立ち尽くす二人にその目を向けたキルヒアイスがケスラーに声をかける。

「ケスラー憲兵総監…ルビンスキーは、危険な男です。
必ず捕らえてください…決して逃してはなりません」

「…はっ!」
その言葉にケスラーは敬礼をもってそれに答えた。

「吉報をお待ちしています…」

”この騒ぎ…時間稼ぎの可能性は十分にある”
キルヒアイスは事態の収拾に動く辺りを見回しながらそんなことを考えていた。

思えば計画性のない無謀な作戦だった。
これはおそらくルビンスキーが逃げるための時間稼ぎではないかとそう推察したのである。

キルヒアイスはそのまま動けないでいるヒルダを抱えるようにして地上車に乗り込むと
何事もなかったかのように城へと地上車を走らせたのだった。

「…どうしました?震えておいでですよ」
「あ…いえ、その」
ショックから覚めやらぬヒルダにキルヒアイスが苦笑混じりに話しかける。

ヒルダは地上車の車中二人きりでキルヒアイスの姿をまともに見ることが出来ないでいた。

そんなヒルダの様子にキルヒアイスは窓に向けていた視線を戻してヒルダに向けると
それを和らげるように柔らかな口調で話し出す。

「先日、会議の時にお話したように私はこの通りまともな人間ではありません…
私のこと、恐ろしくなりましたか?フロイライン」

「いいえ…そんなことはありません。ただびっくりして…その。
そ、それに元帥は立派にその努めを果たしておられるではありませんかッ
ご自分をそんな風に卑下なさる必要はありませんわ…」

ヒルダはキルヒアイスのその言葉を否定するようにそう告げるとその顔をキルヒアイスへと向けた。

「…やっと、私を見てくれましたね。フロイライン」
「キルヒ、アイス元帥…」
キルヒアイスは笑ってそれだけいうとまた顔を窓へと向けてその目を伏せたのだった。

”この方も必死なのだ…陛下をお助けするために”
ヒルダもまたそれ以上の会話をやめて
目を伏せるキルヒアイスを見守りながらそのまま城へ辿りつくまでの時間を過ごしたのである。

「それでは、これで失礼致します…」
城へ到着後、いつもの調子で仕事を終えたヒルダは
キルヒアイスの軽い会釈を受けてそのまま執務室を出る。

「キルヒアイス元帥…陛下の意識がお戻りになった以上少しでもお休みになって下さいませね…?」
ヒルダは心配そうにそういい残すと一礼して
そのままキルヒアイスの返事を聞かないまま執務室を出てしまった。

ヒルダが執務室をでた後キルヒアイスは眉間に手をあてて目を伏せたまま頭を上へと向けた。
そしてそのまま執務室の椅子を思い切り傾ける。

”…疲れているのは分かっている。だが…あの男、ルビンスキーは
ラインハルト様がお戻りになるまでになんとかしなくては…”

ヴェスターラントや地球教の件は昨日今日で片付く問題でもない。

だがラインハルトの命を狙うことは出来ないのだということを
また同じような事が起きる前に万民に知らしめる必要がある。

そうなるまではキルヒアイスも安心してラインハルトを外に出してやることが出来ない。

執務室に山積する書類の中、キルヒアイスはそんなことを考えながら
少しの間ではあったが疲れきったその身体をそこで休めた。

わずかな眠りであったが気分をすっきりさせたキルヒアイスが
ようやくラインハルトの元へ戻ってきた。

「…キル、ヒ…アイス」
薄れる意識のなかラインハルトが力なくその声でキルヒアイスを呼ぶ。
キルヒアイスは額に口付けてそれに答えた。
「ただいま、戻りました…今日は、また随分と頑張ったようですね」

私服に着替えたキルヒアイスはラインハルトの身体を拭くために洗面道具を片手にやってきていた。
傍でラインハルトを見やると拘束する手足にはいつにも増してくっきりとその跡が残っている。

キルヒアイスがその拘束を外そうとするとラインハルトがそれを制止した。

「まだ…駄目、だ。キルヒ、アイス…外す…なッ」
だがキルヒアイスはラインハルトの制止も聞かずあっという間にその拘束を解いてしまった。

「あッ…やめ」
「…こんなに、こんなに肌に跡が残ってしまって…」
そしてラインハルトの擦れて出来てしまった傷口にキルヒアイスは唇を寄せながら
目を伏せて溜め息混じりにそんな言葉を口にする。

だが拘束を外されたラインハルトはたまらず震える自分の身体を抱え込むようにして
その身を捩じらせてその衝動を抑え込む。

「…駄目なんだッ頼む、から…キルヒ、アイスッ」
その目に涙を浮かべながらラインハルトは必死にキルヒアイスに哀願する。

「ああ、拘束具を変える間だけですよ…ラインハルト様。
随分汗もお掻きになっておいでですから…ついでに、身体をお拭きしましょう…」
そういってキルヒアイスが身体を抱え込むラインハルトの身体を押さえ込んでその身を拭い始めた。

そしてキルヒアイスはラインハルトの身を拭い終えると
持ち帰った新しい拘束具をラインハルトに身につけさせてやる。

「これ、は…?」
「…なんでも、病院で使われている拘束具だそうです。
これだとお身体に傷がつくことはありませんので、しばらくは…どうかこれでご辛抱を」

ラインハルトはキルヒアイスの言葉に頷くように返事を返すと
言葉を口にするのも辛いのかそのまままた硬く目を閉じてしまった。

荒々しい呼吸がキルヒアイスの耳にも入ってくる。
キルヒアイスは席をたって洗面道具を片付けるためにラインハルトの傍から離れようとその腰を上げた。

「…キ、キルヒ、アイ…スッ」
「ラインハルト様…?」
苦しい息から自分の名前を呼ぶラインハルトの声に
キルヒアイスはその小さな声を聞き取るようにその口元に顔を近づけた。

「…い、て」
かすかにラインハルトから漏れたその言葉に
キルヒアイスは目を見開いてその驚きを見せたがすぐに眉を顰めて言葉を返す。

「いけません…どうか、今はお休みを」
「どうに、かなって…しまいそうなんだ…」
だがキルヒアイスはその言葉にも了承を出すことは出来ないでいた。

先日までの行為によってラインハルトの傷ついた蕾を
キルヒアイスは目の当たりに見てしまっている。

「…駄目です。どうか、お堪えください…ラインハルト様」
つれないキルヒアイスのその言葉に
ラインハルトは自分の口元に寄せていたキルヒアイスの耳に思い切り噛み付いた。

「……痛ッ!」
たちまちキルヒアイスの耳がラインハルトに噛まれた場所から出血を始める。

そして苦痛に顔を歪めるキルヒアイスの耳元を銜えるようにしながら
その血を飲み干すようにラインハルトはその舌で舐め上げて血を啜った。

「だっ…だったら、命令だ…キルヒ、アイス」
キルヒアイスがそう告げたラインハルトをじっと見つめる。

ラインハルトの意図はキルヒアイスにも分かっていた。
ラインハルトは禁断症状に苦しむ自分の姿をキルヒアイスに見られたくないのである。

キルヒアイスの目に触れさせないようにと考えてのことだった。

それを察してキルヒアイスがラインハルトを説得するためにその打開策を告げる。

「私がお邪魔でしたら、隣の部屋に控えております…ですから、どうか」
「…それもイヤ、だ。オマエは…こんな、オレといるのはイヤかもしれないが
…オレはオマ…エと一緒にいたいんだ」

これまで二人にはそれぞれに暗黙のルールがあった。
キルヒアイスのそれはラインハルトへの身体が重い負担を強いる行為であるため
行為に及ぶ際には十分に気を使うこと。

ラインハルトには自分の立場を理由にそれを命令しないこと。

だが、その暗黙のルールを先に破ったのはキルヒアイスの方だ。

禁断症状からくる発狂を招く幻覚から逃れさせるためにやむを得ず
あえてその身を使ってラインハルトの身体を痛めつける行為に及んだ。

ラインハルトもまたそのルールを破ってその行為を強要するのは
自分の禁断症状を見てキルヒアイスにこれ以上辛い思いをさせたくはなかったからである。

たとえ自分の姿を見なくてもキルヒアイスが苦しむことはラインハルトには容易に想像がついた。

「…なあ、キル、ヒ…アイス。オレ達は…ずっと、一緒なの…だろう…?」
その言葉キルヒアイスはその口を塞ぐように深い口付けを与えてラインハルトに答えを返した。

「ご命令のままに…陛下」

キルヒアイスがベッドでの睦言の中で陛下とラインハルトを呼んだのはこれが初めてのことだった。
そして与えられた命令を果たすかのように優しい言葉を告げることもないまま
キルヒアイスはラインハルトのその身の衣服を乱暴に引き剥がしていく。

「オ、マエ…怒って…る、な」
キルヒアイスのそんな様子にラインハルトはそれを察したように声をかけると
キルヒアイスは冷たく言葉を言い放つ。

「陛下のご命令には、逆らえません…あなたは、それをよくご存知のはずだ」
「あっ…う、あ、ああ…ッ!」

それは普段二人が身体を重ねる時とはまるで違う行為だった。
言葉もなくキルヒアイスはラインハルトの身体に一方的に快楽を与える。

それは愛の交歓ではなく獣の交わりに等しいものだった。

ラインハルトはキルヒアイスの思う様に乱れてその声を隠すことなく上げ続けた。
ラインハルトの意識が途絶えるその時まで。

”…あなたは卑怯だ、ラインハルト様ッ”
キルヒアイスは意識を失くしたラインハルトを見ながら心の中でそんな恨み事を口にする。

キルヒアイスにはラインハルトの命令への拒否権がない。
よってキルヒアイスはラインハルトの命令には絶対に逆らえない。

それに抗うことを許されないキルヒアイスを知っていて
それでもあえてラインハルトはキルヒアイスに命令を出したのである。

キルヒアイスもラインハルトの気持ちを察しているだけに
決してその恨み言を口にすることは出来ない。

キルヒアイスはただラインハルトの望みを叶えてやるべくただひたすらにその行為に及んだのだ。
それはキルヒアイスにとって思い出しても吐き気がでそうな行為だった。

キルヒアイスはラインハルトの身の後始末を終えると立ち上がり洗面道具をもってその場を離れる。

月のない暗闇の部屋の中でキルヒアイスは
ラインハルトをこのような身においた者達に対して呪いの言葉を口にする。

「許さない、絶対に許さない…ッよくもこん…な」
キルヒアイスの心から吐き出された想いはその暗闇へと全て飲み込まれるように消えてゆく。

その日、外に月が昇ることはなく部屋は闇に包まれたまま二人は夜を迎えたのだった。

4.pigeon blood ピジョン・ブラッド~鳩の血~-1
Ruby pigeon blood ルビー・ピジョン・ブラッド

そのルビーの中で最上級と言われるのが、
ピジョンブラッドと呼ばれる真紅のルビー。

数あるルビーの中でも、これほどの赤と透明度を両立させた上に、
紫外線による独特の蛍光性まで併せ持つという、まさにルビーのなかのルビー。

ルビーの場合、暗いほどに濃い赤が最上級とされ
特にピジョン・ブラッド(鳩の血)という名前で呼ばれている。

翌日、キルヒアイスが身支度を整えて再びラインハルトの寝室へと足を踏み入れると、
やはり眠れなかったのか顔色の悪いラインハルトの姿がそれを出迎えた。

「…おはようございます、ラインハルト様」
「おは、よう…」
随分苦しんだのかラインハルトからは拘束具をつけたまま力のない声で挨拶が帰って来る。

キルヒアイスが心配そうにラインハルトの傍によってその様子を眺めた。

こんなラインハルトを一人置いてキルヒアイスは仕事へ向かわなければならないからだ。

そんなキルヒアイスの気持ちを知ってかラインハルトは
極力出来うる笑顔でキルヒアイスの耳元をみながら話しかける。

「フフ…見事に跡になっているぞ、キルヒアイス」
それは昨日ラインハルトがキルヒアイスの耳に噛み付いた時に出来た傷跡で
出血は止まっていたもののその傷跡は明らかに噛み跡だとわかる。

「それ…どう、ごまかすつもりだ?」
「…まったく、誰のせいだと思っているのですか」
困り顔で答えるキルヒアイスにラインハルトが小さな笑い声をあげた。

「キルヒアイス、そこの引き出しの一番下にいいものがある…出して、みろ」
キルヒアイスがラインハルトに従って引き出しを開けると
そこには小さな宝石箱のようなケースがある。

「…そのまま、開けて」
「これ、は…?」
開けるとそこには赤い石でできた2連のピアスがあった。

「…この間、博物館の視察にいった際に余りの見事な真紅に目を奪われてしまってな。
そこの館長が気を使って欠片を分けてくれたのだ。
本当はクリスマスにでもカフスにしてオマエにくれてやろうと思っていたんだが…」

何かの手違いで届いたのがこのピアスだった。
ルビーの中でも最上級と言われたのがこの真紅のルビーである。

地球でのみ産出されていたこの希少な宝石は
今ではもう産出することもなくなり現存するもののみとなっていた。

「…ルビーの場合、暗いほどに濃い赤が一番良いらしくて
特にピジョンブラッド(鳩の血)と呼ばれるそうですね」

「この凄い赤、まるでオマエの髪みたいだろ?」
ラインハルトの言葉にキルヒアイスがそのピアスに目を向けた。

”平和を司る鳩の血…確かに今の私には相応しい代物かもしれないな…”

「本当はカフスに作り直させるつもりだったんだが、いいからもうこのまま使ってしまえ。
フロイラインにでも頼めばその傷をごまかして上手くつけてくれるだろう…
これは、いわばオレの代わりに頑張って仕事をしているオマエへのご褒美だな」

「…それは、どうも…お心遣いいたみいります」
大体この噛み傷をつけたのはラインハルトである。
楽しそうにいうラインハルトに内心複雑な気持ちなキルヒアイスだった。

だが明らかに噛み傷だと分かるそれをそのままにもしておけず
キルヒアイスはラインハルトから贈られたピアスを受け取った。

「ああ…キルヒアイス。それと、砂時計の砂の量を少し足しておいてくれ」
今日もラインハルトは薬の禁断症状と戦うようである。

「あまりご無理はなさいますな…お体を崩してしまいます。ゆっくり慣らした方が…」

ラインハルトの顔色の悪さにキルヒアイスは心配そうに声をかけた。

「…駄目だ。オレがこのままだとまたオマエが無茶をするのだろう?
…だからオレは早く元の身体に戻さないと、な」
「ラインハルト様…」
ラインハルトの言葉がキルヒアイスのその身に染み渡るように行き渡り、
キルヒアイスは拘束されたままのラインハルトを抱きしめる。

「心配するな、オレは大丈夫だ…だから、早く仕事に行って来い」
そういって仕事に行きづらくなっていたキルヒアイスの背中を押すようにラインハルトが声をかけると
キルヒアイスはようやく立ち上がりラインハルトに背を向けた。

「…それでは、いってまいります。すぐに戻りますから」
そしてキルヒアイスは名残惜しくはあったがラインハルトの寝室を後にした。

”…オレもとんだ芝居上手になったものだ”
キルヒアイスが寝室を出るとまた禁断症状に苦しみ始めるラインハルトだった。

”この身体のなんと虚弱なことか…今だ浅ましく薬を求めて悶え続けている”
ラインハルトは震える身体と薬を求める渇ききった身体を堪えながら再び砂時計に目を落とす。
まだまだラインハルトの禁断症状は治まりを見せる兆しを見せてはいなかった。

今日もまたラインハルトの長く苦しい一日はこうして始まりを告げたのである。

朝、人目に極力触れないように執務室に入りキルヒアイスはヒルダを呼んだ。

「…申し訳ありません、少し手伝っていただけませんか?」
「ま、まあ…ッ!キルヒアイス元帥」
ヒルダがよく見るとキルヒアイスが手で押さえた耳元にはそれは見事な噛み傷の跡があった。

「…これ、陛下ですの?」
「ええ…まあ、それで…これを使って誤魔化そうと思うのですが
…なんとか上手くつけて貰えないかと…フロイライン」

唖然とするヒルダにキルヒアイスはピアスのケースを渡した。

ヒルダが中を確認するとそこには見事な2連のルビーがある。
あまりの凄い赤に溜め息の漏れたヒルダであったが
早速それを取り出すと手持ちのものでキルヒアイスの耳元を消毒し始める。

「…素晴らしいですわ、この石。
ですが、傷跡にピアスを入れれば少し痛みますわよ、キルヒアイス元帥」

「ッ…!」
ヒルダはそういってキルヒアイスの耳元の噛み傷にあわせるように二つのピアスを取り付けた。
傷跡に被せるようにつけたピアスにキルヒアイスは痛みで一瞬顔を顰める。

「後はファンデーションでもして回りの傷と赤みをごまかしましょう…」
キルヒアイスの耳にヒルダがファンデーションを軽くつけるとその傷跡はものの見事に隠れてしまった。

「これで、傷跡は分かりませんわ…キルヒアイス元帥」
「助かりました、フロイライン。どうも有難うございます」

やはりこういうのは女性の専門分野である。
キルヒアイスはヒルダに改めて感心して礼を述べたのだった。

「お役に立ててなによりです。元帥、よくお似合いですわよ」
そんなキルヒアイスの言葉をヒルダはにっこりと笑って受け止めた。

ヒルダが言うまでもなくそのピアスの赤は
見事キルヒアイスの赤い髪に溶け込むように馴染んでいる。

キルヒアイスの片耳の2連のルビーは
存在を主張するかのようにその輝きを放っていた。

ヒルダからの報告を聞き終えて書類に目を通しているとやがて会議の時間となった。
ヒルダを伴わせてキルヒアイスが皆の待つ会議室へと向かう。

会議室では既に皆が集まっておりキルヒアイスが来る間、
ケスラーから聞いた先日のキルヒアイスの出来事について話しあっていた。

「先日の憲兵隊への襲撃事件…テロリストの一人がものの見事にキルヒアイスに眉間を打ち抜かれたそうだ」
「ケスラーが鑑識に話を聞いたところ、
出力を最小に抑えたブラスターを連続発射させて眉間が貫いた痕は
まるでレーザーで繰り抜かれたようになっていたと言うぞ…」

相手は取り押さえてあったとはいえ生身の動く人間である。
眉間にピンポイントで打ち込むとなればそれがたとえ射撃の的であったとしても至難の業であった。

「…原因は、陛下と大公妃殿下への酷い侮辱であったそうだが」
キルヒアイスは射撃の名手としても帝国ではその名が高い。

こと白兵戦においては右に出る者無しとまでいわれている程で、
既に数ある射撃大会などでも輝かしい戦績とともに
キルヒアイスはその名の多くを大会の筆頭に残していた。

「触らぬ神のなんとやら…というやつだ。テロリストも馬鹿なことをいったものだ」
そういって話を締めくくると会議室は静かな空気に包まれる。

丁度その話のキリのいい所で、キルヒアイスが会議室へと到着した。

「おまたせしました…それでは、始めましょうか」
キルヒアイスが席をつく姿に皆がすぐにその耳元に気がついた。

「ちょっと待て…それは、どうしたのだ?」
「ああ、これですか…?」
キルヒアイスがミッターマイヤーが指先を向けた耳元に手をあてる。

「陛下に頂いたのです…なんでも、代わりに仕事をしているご褒美だそうです。
これをやるからとっとと仕事にいけ、と…今朝は、早々に部屋を追い出されてしまいました」

キルヒアイスのその言葉にビッテンフェルトが
キルヒアイスを伺うようにいつもとは随分控えめに話をもちかけた。

「…その、なんだ…キルヒアイス元帥。我々が陛下にお会いするのは…まだ、ご無理なのだろう、か」
ビッテンフェルトのその言葉に皆がキルヒアイスに視線を向けると、
キルヒアイスは制服のポケットからある物を黙って机に取り出した。

「これ、は…?」
「砂時計です…陛下は一日これと向かい合って禁断症状と時間を相手に戦っておられます。
そうですね、今の陛下はこの砂時計でいうと…」
キルヒアイスが砂時計の口を開けて指先で一握りの砂を取り出した。

「…今は、このくらいです」
「………ッ!!」
ビッテンフェルトが愕然としてその一握りの砂に顔を歪ませ皆も同様にその驚きを隠せない。

「今しばらくは…どうか、お待ちください」
頭を下げるキルヒアイスにビッテンフェルトは大きく首を振って言葉を返す。

「いいや、いいのだ…ッ!陛下も苦しみの中頑張っておられる!
我々は陛下を信じてそれをひたすら待つのみであったッ!
無理を言ってこちらこそすまなかった…キルヒアイス元帥、
もし良かったらその砂時計。このままそこに置いては貰えないだろうか?」

そういってビッテンフェルトが
キルヒアイスの隣のラインハルトの席の前に置かれた砂時計に手を差し伸べた。

その言葉にキルヒアイスは一瞬目を大きく瞬きさせたもののビッテンフェルトの言葉を笑顔で返す。

「…そうですね、それもいいかも知れません。
では、ここに置いて皆で陛下のお帰りをお待ちすることにしましょう」

キルヒアイスはそのままそこに砂時計を置いたままにすると、
皆がそれぞれラインハルトを想いながらその砂時計を眺めた。

「それでは、今日の議題を始めましょうか…」
キルヒアイスの言葉に皆が頷きを返すと早速会議が始められた。

しばらくして会議が順調に進む中、キルヒアイス宛にケスラーからの連絡が入る。

『面目ない…ッキルヒアイス元帥』
ケスラーの謝りの声をあげながら続けられた報告はキルヒアイスの期待を裏切るものだった。

「ルビンスキーを、取り逃がしたですって…?」
『早速、後を追います…ッキルヒアイス元帥、どうかご許可を…!!』
ケスラーの追いすがる言葉にキルヒアイスが沈黙する。

既にフェザーンを出たのであれば捜索には宇宙船を使用しなければならない。
だがそれはケスラーの管轄外である。

そこでケスラーはキルヒアイスにその追跡許可を貰うべく連絡を入れてきたのだった。

会議室からもケスラーに対する非難の声が次々とあがる。

「ルビンスキーを獲り逃がしたというのか…ッなにをしていたか、ケスラーのヤツめ…ッ!」
「キルヒアイス…ッ!地球へはミュラーを向かわせている。そこでヤツを取り押さえるのだ…ッ!!」

キルヒアイスから地球への艦隊派遣を要請されたミッターマイヤーは
ミュラーの艦隊をすでに派遣させていた。

そこでルビンスキーを抑えることは十分可能だった。

「…いいえ、このままルビンスキーを行かせましょう。目的地は分かっています」
「な…ッ!?」

「地球、か…」

”やはり先日の襲撃事件はルビンスキーが自分が逃げるためにした時間稼ぎだったのだ…
ものの見事に悪い予感だけは当たってしまうな…”

キルヒアイスは心の中で一人そんな愚痴を零していた。

「そういうことです…この際、地球教とルビンスキーとの関係をここで一切絶ってしまいましょう。
ルビンスキーが地球に到着次第、地球教にルビンスキーの引渡しを要求します」

そこで地球教がルビンスキーを引き渡せばここでこの両者の関係は完全に断ち切れる。
そうキルヒアイスが考えてのことだった。

「ミュラー提督に連絡を…ルビンスキーが地球に到着次第、その場で待機。
そのまま私の方から地球教への交渉に入ります…ルビンスキーの地球への予定到着時刻は?」

「おそらく明日中には着くだろう…だが、
物資の供給を停止させている以上早々に片をつけないと大変なことになるぞ」

「大丈夫です、すぐに終わらせますから心配ありません…」
ミッターマイヤーの言葉にキルヒアイスはそう答えたのだった。

すぐに終わるともとても思えなかったがキルヒアイスが断言する以上皆は納得する他はない。
そしてそのままキルヒアイスが席をたった。

「…ベルゲングリューン、こちらへ」
そういってキルヒアイスは今は自分の艦隊指揮の副司令を努める
ベルゲングリューンを執務室へと招いたのだった。

「ついに、キルヒアイス艦隊が動く、か…」
「どうだろう…すぐに終わらせるとはいっていたが」
果たしてそれは可能なのかどうか、そんな考えに会議室の中が包まれる。

そうしてベルゲングリューンを連れてその場を離れるキルヒアイスの姿をそのまま皆で見送ったのだった。

キルヒアイスから指示を受けたベルゲングリューンが執務室を後にすると
丁度また昼にさしかかりラインハルトに食事をさせるために執務室を後にした。

引き続き午後からはヒルダが執務室に戻りキルヒアイスは仕事を続けた。

そして夜再びキルヒアイスはラインハルトの元へと戻ってきた。

「只今、戻りました…ラインハルト様」
そういっていつものようにキルヒアイスはラインハルトの拘束具を外すと
汗を掻いたラインハルトの身を拭い始める。

「思ったとおりだ…中々…似合っているではないか、キルヒ、アイス…」
そういってラインハルトは震えた手をキルヒアイスの耳元に伸ばした。
キルヒアイスの片耳には今朝ラインハルトから渡された2連のピアスが付けられている。

「…オマエの髪に、よく似合う…」
まるでルビーを染め上げたような髪とキルヒアイスを評するものもいる。

それはラインハルトも納得するところだった。

ラインハルトの身体を拭い終えたキルヒアイスがそのまま再びラインハルトの拘束具を取り付ける。
苦しそうに息を漏らしながらラインハルトはキルヒアイスの腕を求めて声をあげた。

「……キルヒ、アイスッ」
「分かっておりますよ、陛下…アレが欲しいのでしょう?」
そのままキルヒアイスがラインハルトの身を返すとうつ伏せにさせる。

「キルヒアイス…ッこれは、イヤだって…」
「それも承知しております…貴方が私の姿が見えないのはお嫌だと言うことは」
だがそれでもキルヒアイスはうつ伏せにさせたラインハルトを元に戻そうとはしない。

拘束具を身に付けたラインハルトは上から覆いかぶさるキルヒアイスにその身を抑えられ
自分ではうつ伏せの身体を仰向けには戻せなかった。

「キルヒアイス…ッ!!」
「…ですが、今はどうか我慢をなさって下さい。
私があなたに見られたくはないのです、今の私の姿を…」

”そして痛みに顔を歪める貴方のそのお姿も…見たくない”
本来ならばこの行為は二人の中ではその想いを込めた行為だった。

だが、今は違う。
禁断症状の苦しみから逃れさせるために無理やり始めた行為だった。

いつもならラインハルトに与えてあげられるその歓びを
キルヒアイスは今ラインハルトに与えてやることが出来ない。

”私があなたに今してあげられる事があなたを苦しめる事だけだなん、て…そんな”

「い…ッや、だッあ…ッ!!」
キルヒアイスがラインハルトの腰を高く掲げあげるとそのまま自身を深く埋め込ませた。

「ひぃ…あッい、あ、ああ!」
ラインハルトが大きく目を見開いて首を振ってその痛みに顔を顰める。
なだらかな曲線を描いたラインハルトの背中がたちまちしなりを帯びた。

あまりの痛みにラインハルトが片頬を寄せる枕が涙に濡れる。
そのまま有無をも言わせないまま、キルヒアイスがラインハルトの中にあった自身を動かし始めた。

「…ん、あ…う、…んんッ」
動きとともに上がるラインハルトの苦痛の声をキルヒアイスは
口から漏れそうになる嗚咽を隠すように歯を噛み締めて堪えながら受け止める。

「これは…あなたが、望んだことなのです…よ、陛、下…ッ」
「…キル、ヒ…アイ…スッ」
その時、ラインハルトは先日キルヒアイスに出した命令が間違ったものであることを実感した。
身体を重ねながら自分のことを陛下と呼びその命令に従って自分を傷つけさせる行為をさせていることに、
キルヒアイスが何とも思わない訳はないのである。

いつも身体を重ねる時、キルヒアイスがどれほど自分を大事に抱いてくれたか。
今それをラインハルトが身をもって思い知った瞬間だった。

だが薬の禁断症状に絶えられずラインハルトは
浅ましくもその行為をキルヒアイスに命令を持ってそれを強要してしまった。

「…もう、いい。分かった…分かった…か、ら…キルヒ、アイ…スッ」
そうして泣き崩れるラインハルトの姿にキルヒアイスの動きが止まる。

「…陛、下?」
「情けない…ッオレは、なんて脆く、そして弱いのだ…
すま、ない…キルヒアイス…こんなオレを、オマエは嫌いになった事だろう…」
そういって悔しそうにラインハルトは顔を歪め枕にその顔を隠そうとする。

そんなラインハルトをキルヒアイスが抱き上げて上を向かせた。
ラインハルトが身体を震えさせてキルヒアイスの視線から逃れるように視線を逸らせる。

「見る、な…ッキルヒアイス…頼む、から…今のオレを、見ないでくれ…」
「いいえ、ラインハルト様…私が心を奪われてもいいのはあなただけだと
以前あなたは私にそうおっしゃったではありませんか…これから先も…それは、変わることはありません」

その言葉にもラインハルトは慌てて顔をキルヒアイスから背けようとするが
キルヒアイスはラインハルトの顔を抑えて自分の方へと強引に向かせてしまう。

「…やっと、名前を呼んでくれたな。キルヒアイス…」
「ラインハルト様…」
そのまま二人の唇が重なった。
何度も角度を繰り返しては一層口付けは深いものとなっていく。

「そうやって…これからもずっと、オレを呼び続けてくれ…キルヒ、アイス」

キルヒアイスが自分の名を呼ぶ…

ただそれだけがどれ程愛おしかったことかラインハルトは思い知る。
自分が本当に欲しかったのはただそれだけであったのかも知れない。

そうして目を伏せるとラインハルトの疲れた体は
自分を呼ぶキルヒアイスの声を聞きながらそのまま眠りへとついた。

”…私の気持ち、ラインハルト様は分かってくださった…ラインハルト様。
私がお守りしたいのはあなたご自身…私の望みは貴方を傷つける何物からも貴方をお守りすること…
あなたを傷つけるものはたとえそれが私自身であってもならないのです…
私は今までそうして貴方と身体を重ねてきた…”

キルヒアイスはベッドに横たわり眠りについたラインハルトの頬に愛おしそうに唇を寄せた。
そしてキルヒアイスはラインハルトの傍を離れると自分の部屋へと戻っていったのだった。

夜が明けキルヒアイスがラインハルトの部屋にいくと
そこには朝から早速砂時計と格闘しているラインハルトの姿があった。

「おはようございます、ラインハルト様」
「…んッおはよう、キル、ヒ…アイス」
昨日のことを思い出して照れくさいのかラインハルトは少し頬を赤らめながら
キルヒアイスの微笑みの挨拶を顔を合わさずに返した。

「なんだか…昨日は、いつもよりよく眠れたみたいなんだ」
「そうですか…それは何よりです。顔色も昨日より随分よろしいようです」
ラインハルトの頬には昨日までとは違い以前の薔薇色の頬が戻ってきている。
どうやら本当に昨日はあれから良く眠れたようだった。

キルヒアイスは愛おしそうにラインハルトのその頬にそっと口付ける。

「砂時計…今日は、どのくらいいけそうですか?」
「もう少し砂を足してくれ…今日は、身体の調子がいい」
ラインハルトのその言葉をキルヒアイスは頼もしく受け止めながら砂時計に砂を足した。

”流石だ…ラインハルト様。
貴方はご自分を弱いといって昨日は泣き崩れておいででしたがそれは違う…
あなたは本当は誰よりもお強い…あなたのそれにはきっと誰も敵いはしないでしょう”

「…それではいってきます、ラインハルト様。またお昼に食事をお持ちしますね」
「ああ…オマエも、頑張ってこい」
ラインハルトの笑顔に見送られながらキルヒアイスは部屋を出た。

キルヒアイスが部屋を出るとラインハルトは再び砂時計に目を向ける。
”最早…この苦しみがオレ自身を凌駕することはない…
オレを支配出来るものがこの世にあるとするならば
それはこのオレ以外の何物であってもならないのだッ”

そう心の中で決意を新たにしてラインハルトはこの一日を送るのだった。

4.pigeon blood ピジョン・ブラッド~鳩の血~-2
キルヒアイスが執務室でヒルダと合流すると報告を聞く間もなく会議室へと向かった。
ミュラーからルビンスキーが地球に到着したとの連絡が入ったからである。

キルヒアイスが会議室に入ると皆もそれを待ち受けていたようだった。

「ミュラー提督、ご苦労さまです…そちらの首尾はどうなっていますか?」
『はい…地球への物資の提供は全面に停止して
すでに地球教の大司教猊下との通信を繋げてあります…いつでも、どうぞ』

ミュラーの言葉にキルヒアイスはミュラー艦隊を中継して地球との交信を繋げた。
そこに待ち構えていたように大司教の姿が映し出される。

「初めまして…大司教猊下。私はこの度の作戦の指揮を執らせて頂いております
ジークフリード・キルヒアイスと申します」

『…噂には聞いておる。新帝国の皇帝とやらも若いと聞くが、そなたもまた随分と若いことだ…』

自分よりはるかに年の若いキルヒアイスを前に少し不遜な態度で大司教が言葉を返す。
だが今までにもキルヒアイスの外見ではそれもよくあったことなので気にせずキルヒアイスは話を続けた。

「今回のご用件は、そちらに到着したルビンスキーの引渡しです。
お引渡し戴けたならばすぐに物資の提供は再開させます…いかがなさいますか、猊下?」

『…ふん、私に指図をするつもりか?若僧が…申し出を私が断ったならば…どうする気だ?
また…ヴェスターラントの二の舞でもするつもりか…!?』

大司教の強気な態度には今だ揺ぎがない。
その上ヴェスターラントの話までも持ち出す始末である。

そんな大司教の様子にもキルヒアイスは動じることなく返答を返す。

「…それも、いいかも知れませんね…ミュラー提督。
そちらに核融合ミサイルは装備してありますか?」

そう言ってキルヒアイスは大司教と繋がれたモニター画面から少し顔を出して
今度はミュラーと繋がっている別回線で話し始める。

慌てて皆がキルヒアイスのその言葉に仰天して止めに入った。

「おい…ッ正気か!?キルヒアイス!!」
『…また、出来もしないことを』
鼻で笑う大司教の言葉にキルヒアイスは表情も変えずに話し出す。

「そうでしょうか?本当に出来ないとお思いですか?…なら、試してみましょう」
『な…ッ』
キルヒアイスはラインハルトの席の前ににおいてあった砂時計持ち出すと
それを大司教にもモニターから見えるところに置いて引っくり返した。

砂時計の砂がゆっくりと下に向かって流れ始める。

「私が貴方に差し上げる時間は…この砂時計が落ちるまで、です。…さあ、大司教猊下…ご決断を」
キルヒアイスが話をする間もそのまま砂がどんどん下へと滑り落ちていく。

『…馬鹿、な。そんな事、出来る訳が…』
「もしかしてルビンスキーですか?…猊下にそのようなことを吹きこんだのは。
それはいささか私を買い被り過ぎというものです…
私はいわゆる戦争慣れをしてしまった社会的病的者ですので…つまりそれはどういうことかというと、
私は戦いで全てを殺しても平気でいられます。
お望みとあらば、これを機会にそれを今ここで証明して差し上げましょう…」

無表情で告げられるキルヒアイスの言葉に大司教はおろか会議室にいる面々もその場に凍りつく。
それは誰もがキルヒアイスの表情からはその言葉が本気かどうかという事に確信を持てないでいるからだ。

大司教が無表情なキルヒアイスにわなわなと震え出す。

『この神への冒涜者め…ッ神の怒りに触れるぞッ』
「…私には崇めるべき神も、救いを求める神も必要ありません。
私が唯一膝をつくのはこれから先もラインハルト・フォン・ローエングラム皇帝陛下ただ一人…」

沈黙の中静かに砂時計が流れ落ち、やがて大司教の返事がないまま砂時計の砂は途切れた。

「残念ですが…お時間、です。猊下」
そういってキルヒアイスが再び大司教とのモニターから少し顔を外してミュラーに連絡を取る。
「出力を最小にして2発…核融合ミサイルを発射してください」

「キルヒアイス…ッやめろ!!」
『…キルヒアイス元帥ッそれは!!』
まわりからの反対の声をものともせずにキルヒアイスは続ける。

「いいから、そのまま発射してくださいッこれは命令です!
…ただし、目標は地球ではありません…月、表面です。
これは彼らへの私からの警告です。地球からもよく見えるように
大きなクレーターを空けるつもりで発射してください」

その言葉にミュラーは敬礼をもって返事を返すとそのまま核融合ミサイルを月に向かって発射させた。
爆発の衝撃によってその磁場が乱れ通信は一時的に途切れた状態になる。

『通信…一時、途絶…ッ』
乱れた映像が途切れ途切れに飛んで音とともに少しずつ戻ってくる。

「…通信が正常に戻るまで、どのくらいかかりますか?」
『…約、5…、分…』
乱れとぶ通信を皆が静かに会議室で見守った。

そして5分後。
それはミュラー艦隊からの中継で送られてきた地球からの映像に皆が恐怖に息を飲んだ瞬間だった。

血の色のような赤い月に大きな黒い穴が二つ空いている。

それはまるでラインハルトに贈られたという
今キルヒアイスが耳元につけているピアスそのものだったからだ。

おそらく地球にいる人間の衝撃はこの会議室にいる人間の比ではない。

皆が目を盗むようにしてキルヒアイスに目をやったが
相変わらず変わらないキルヒアイスのその表情からは何も読みとることが出来ない。

『通信、完全に回復しました。大司教への通信、繋ぎます…』
再び通信が大司教と繋がると最初に見た時とは別人の驚愕に打ち震えた大司教の姿がそこにあった。

「…2度は申しませんよ、猊下…今の帝国では宗教の弾圧といった思想の弾圧はしておりません。
ルビンスキーさえお引渡し下されれば、このまま物資を提供させた後
艦隊は撤退させて地球への運行も平常通りに戻します」

『なんということを…ッこのままではすまさんぞ!!』
大司教はわなわなとその身を震わせながら引き絞るような声でキルヒアイスを睨みつけて言葉を返す。

「それは、こちらのセリフです…今度、再び皇帝陛下の御身に手出しがあらばその時は
あなた方の崇めるその神ごと全てを打ち滅ぼしてご覧にいれましょう…」

キルヒアイスの言葉に大司教は返す言葉を失くした。
最早立つ力もないのかがくりと肩を落としてそのまま椅子に腰を下ろすと、
その両手を顔にあてて小さな声でなんとか大司教が言葉を口にする。

『…迎えを、よこしてくれ、ルビンスキーを…引き渡す…』
「懸命な判断です…あなたは見事地球の危機を救われたのです。猊下…貴方に神のご加護を」
そういってキルヒアイスは大司教との通信を終わらせたのだった。

100年にも渡った地球教の野望は今まさにこれをもって打ち砕かれたのである。
彼らは地球から毎日月を見ながらこの日味わった恐怖を思い知ることとなるだろう。

大きな黒い穴を2つ空けた赤い月が今もなお彼らの天上を照らし続けていた。

キルヒアイスはその後ベルゲングリューンへの回線を繋いだ。

「ベルゲングリューン…交渉は無事に終わりました。
貴方はミュラー艦隊と合流してルビンスキーの身柄を押さえてください。
ミュラー艦隊には地球への運行が正常に戻るまでの間、物資の提供を続けて頂きます」
『は…ッ』

キルヒアイスは万一を考えて地上への突入部隊をベルゲングリューンに別働隊として指揮させていた。
勿論それはルビンスキーを捕獲するためのものである。

周到なキルヒアイスのその手並みに皆はひたすら舌を巻くしかない。

「ベルゲングリューンを向かわせていたのか…キルヒアイス」
「まあ…必要になる事態が避けられたのは何よりでした。
…実は、正直なところ大司教猊下も薬で頭がぼけてまともな話は出来ないのでは、
などと思っていましたもので」

あっさりとそんなことを言ってのけるキルヒアイスに皆はただ唖然とするばかりだった。

「…それではルビンスキーを捕らえた時点で地球への運行を再開させて下さい」
話しをしながらキルヒアイスが席から立ち上がる。

「キルヒアイス…?」
「そろそろ、お昼の時間です…陛下に食事をお持ちしなければ。
なんとかお昼に間に合ってくれて助かりました…」

そういってそのままキルヒアイスは皆を残して急ぐようにその場を立ち去ってしまう。

取り残された面々は最早言葉もでない。

「おい…もしかして、キルヒアイスが急いでいたのは…」
「…陛下のお昼の時間が近かったからなのか?」

ようやく顔を見合わせて出た言葉も
会議室の中がさらに沈黙を広げる結果になってしまったのだった。

確かに今回も実際には予想に反して血はほとんど流れなかった。
ほとんど無血ではある。

亡くなった者といえば先日の襲撃事件でキルヒアイスに眉間を撃ち抜かれたテロリスト一人だけだ。
だが流されなかった血以上にキルヒアイスが後に残したものは果てしなく大きなものだった。

それは誰もが今回の件で思い知ったことだろう。

特に地球に今なお暮らし続ける人々は
月を貫くあの二つの穴を毎晩見上げる度にこの日を思い返すに違いなかった。

やがてルビンスキーの引渡しを無事に終えたベルゲングリューンが艦隊を引き上げさせ、
ミュラー艦隊は引き続き物資の提供を続け地球への運行が無事再開されるのを確認して
フェザーンへと戻ったのだった。

こうして事件はルビンスキー逮捕で収まりを見せまた穏やかな日常がその姿を見せ始める。

ラインハルトの回復振りもそれからは見事なもので
その後1ヶ月を待たずして禁断症状から解放されたラインハルトは
皆の前に出ることが出来るようになったのである。

キルヒアイスを背後に伴わせて会議室に姿を見せたラインハルトのその姿に
皆は涙を浮かべずにはいられなかった。

「陛、下…ッ」
「皆には長らく苦労をかけたな…」
ラインハルトのその言葉にビッテンフェルトなどは感極まってその目から涙を流していた。

「いいえ、いいえ…陛下ッ」
「皆、席につけ…このままでは話も始められないだろう?」
ラインハルトの言葉に皆が自分の席へと戻っていく。
そこでふと自分の席にラインハルトが目をやるとそこには見覚えのある砂時計があった。

その視線に気がついたビッテンフェルトが慌ててそれの説明する。

「あの…っそれは自分がキルヒアイス元帥に頼んでそこにおいて頂いたのです」
「…そうか、いや。これには随分と世話になったな、余も…」
笑いながらそういうとラインハルトはその砂時計をそのままそこに置いたまま席へとついた。

「…そうだ、キルヒアイス。今から余の部屋に戻ってとってきて欲しいものがあるんだが」
「部、屋…?今から、ですか?」
席に着いた途端ラインハルトが思いついたようにキルヒアイスに話しかける。

「ああ…今しか駄目だ。引き出しにしまってある…だが、急がなくていいぞ?」
「は、あ…」
少し首をかしげたもののキルヒアイスは
ラインハルトから引き出しの鍵を受け取るとそのままその場を後にした。

キルヒアイスの姿が消えたのを確認してラインハルトは
早速今回の事件の詳細を記された書類に目を通し始める。

「…ラングを復職させたか」
「それは、その…」
ラインハルトの言葉にヒルダが弁明を入れようとするがラインハルトは手を翳してそれを制した。

「仕方あるまい…キルヒアイスが動こうにも
その間アイツは中毒患者の世話に明け暮れていたのだから、な」
「陛下…ッ」

ラインハルトの自嘲めいたその言葉にヒルダは慌てて言葉を返そうとするが
それも意に介さないままラインハルトは引き続き書類に目を通していく。

「…結局、亡くなったのは襲撃事件での一人だけという訳か。
まあ、これは…思ったよりはマシ、というやつだな…」
「マシ…です、か?」
ようやく目を通し終えたラインハルトがその書類を机に置いた。

「そうだ…アイツのことだ。キレて地球に核融合ミサイルでも撃ち込みかねんからな…」
ラインハルトのその言葉に皆がはっとするように静まり返る。

実際地球へは撃ち込まれはしなかったがあの時警告として
キルヒアイスは月へと核融合ミサイルを2発撃ち込んでいる。

モニターに映し出された赤い月に刻まれた2つの大きなクレーターの姿は
その日味わった恐怖とともに皆の記憶に焼き付いて消えることはないだろう。

「…キルヒアイス元帥は神をも恐れません、陛下」
「それでいい…アレのすることに神の許しなど必要ない。
今までも、そしてこれからもそうだ。アレの全てはこの余がその全てを許す…」

ラインハルトは皆にそう宣言するとその言葉に皆が息を飲んだ。
だがそのままラインハルトは更に言葉を続けた。

「分からぬか…?余はこの世で最も敵に回したくない者だからこそ
自分の唯一腹心の親友として傍に置くことを望んだのだ、
今回の件で…それは皆にも分かったのではないのか?」

返す言葉がないとはまさにこの事である。

これまでもキルヒアイスのその実力は皆の知るところにあったが
今回の件で、最早誰もがラインハルトの傍にいるキルヒアイスの存在を認めない訳にはいかないだろう。

「おっしゃる通りです…敵に回せばこれほど恐ろしい男を私は他に知りません」
「味方であったことに感謝したいものですな…」
皆も相槌をうってラインハルトへ言葉を返した。

「…昔からそうだが、アレはこと姉上と余のことに関しては加減というものを知らぬのだ。
かつてアレを本気で怒らせて生き残ったものなど…ああ、一人いたな。そういえば」
「陛下…?」
ラインハルトが聞き返すミッターマイヤーと隣のロイエンタールを見ながら話しを進める。

「卿ら、覚えてないか…?ガイエスブルグ要塞で旧貴族…いや、賊軍との戦いの時のことだ。
オフレッサーという化け物がいただろう?」

オフレッサー上級大将。
すでにこの世にはいないが旧帝国ではその怪物じみた容姿と残忍な殺しぶりから恐れられていた男である。
その当時、白兵戦において彼は無敵を誇っていた。

だがその時キルヒアイスはガイエスブルグにはおらずラインハルトの代理として
辺境星域の平定を命じられその場にはいなかった。

オフレッサーを生かしたまま捕らえるという命令をラインハルトに命じられ
ミッターマイヤーとロイエンタールは白兵戦を展開するも、
それは悉くオフレッサーの返り討ちにあって艦隊の多くの白兵戦部隊が壊滅に追い込まれた。

結局ミッターマイヤーとロイエンタールが二人がかりで自らを囮にして
罠を仕掛けてなんとかオフレッサーを捕らえたのだ。

まともに一対一でやりあおうなどとは考えすら及ばない相手である。

「オフレッサーがキルヒアイスがいないのをいいことに
モニターで余に戯けたことを言いたい放題抜かしていただろう…?」

それはオフレッサーがモニター越しにラインハルトに贈ったメッセージにあった。

『オマエを守る赤毛の男は今ここにはいないぞ…』
そう言っていたのである。
ようやくそれを思い出した二人はラインハルトに話を聞き返した。

「…キルヒアイスとオフレッサーは、以前になにかあったのですか?」
「あったもなにも…あの猛獣に引き裂かれただの、
いろんな噂が飛び交っていたあの顔の傷跡…アレは、キルヒアイスがやったものだ」

その言葉に皆が目を見開いてラインハルトに話の先を促すように眺める。

「確か、幼年学校の頃だったな…どうも、あの馬鹿。
キルヒアイスの前で酷く姉上を侮辱する言葉を口にしたらしくてな。
生きたままキルヒアイスにその目を抉られたのよ…ザマはない。
オフレッサーからすればあの時のキルヒアイスは確かに猛獣であったかも知れんが…余が止めねば
両方の目はキルヒアイスによって抉り取られていたことだろうよ」

おかげでキルヒアイスの前ではすっかりおとなしくなって自分の前では文句をいうことがなくなった。
などと、オチまでつけて笑ってラインハルトは皆に聞かせてやった。

「…まあ、結局は死んだがな…アレも」
オフレッサーの恐ろしさはここにいる誰もがその記憶に新しい。
ミッターマイヤーやロイエンタールは実際にそれを身を持って経験している。

聞いただけでも背筋が冷たくなるような話だった。

「…なにを、話し込んでいらっしゃるのですか?」

そこにいる全員が一瞬その声に身をびくりと震わせた。
噂の主であるキルヒアイスが会議室に戻ってきたからである。

皆の様子に首を傾げながらキルヒアイスは自分の席へと着いた。

「いや、なに…オマエを怒らせると怖い、なんて話をしてたのさ」
「怖、いですか…?」
キルヒアイスはラインハルトの言葉に考え込むように手を顎において顔を俯かせる。

「怖いぞ…相当。オマエ、自覚ないんだ…?」
「なにがです…?」
そのまま視線を逸らさずキルヒアイスはラインハルトにその目を合わせて真面目にそう答えると
呆れた顔をしてラインハルトは今度は話題を変えてキルヒアイスに話しかける。

「まあ…いいか。ところで…探しものは、見つかったのか?」
「はい…」
それまでにない笑顔でキルヒアイスはラインハルトの言葉に返事を返したのだった。
キルヒアイスのその返事にラインハルトもまたこれ以上にない笑顔で頷いてそれに答える。

「そうか…それは、なによりだ」
そういってラインハルトは再び会議を再開させた。

「…皇帝誘拐を企てた実行犯を流刑に?極刑ではなく、か…?」
報告書に目をやりながらラインハルトが意外そうにキルヒアイスの方に目をやった。

「はい…極刑をご希望でしたら…そのように、すぐに手配致しますが」
遠慮がちにそう答えるキルヒアイスにラインハルトは笑って返事を返す。

「はは…いや…いい。やはりそれがオマエらしいよ、キルヒアイス…皆も、そう思うだろう?」

「はい」
ラインハルトのその言葉に頷きながら皆がキルヒアイスに顔を向けた。
それこそ皆の知るいつものキルヒアイスだからだ。

皇帝誘拐をした以上本来なら厳罰をもってあたるべきことではあったのだが
こと相手がヴェスターラントの被害者である上に地球教によって家族を人質に取られ
麻薬の中毒患者にまでされていたのならばそれ以上のことは当事者のラインハルトが認める以上
皆にはなにも言い返すことなど出来ない。

”私には彼らを罰する資格などなかった…
彼らにもまた守るべきものがあり、そのために命をかけたのだ…
再び事を起こそうとするなら容赦をする気はないが、
ラインハルト様がご無事であったのならばそれ以上のことはすまい…”

そう考えてのキルヒアイスの決断だった。

辺境星域での強制労働とは刑を執行するためにその名をつけただけの名ばかりのものだった。

皇帝誘拐に失敗した彼らは拷問から解放された後手厚く看護を受けてその身を回復させると
家族との再会を果たして新しい土地と家を手に入れていた。

そこに同行したケスラーに彼らはキルヒアイスからの伝言を聞かされることになる。

『失われたヴェスターラントの血はこの身の生涯全てをもってしても決して購いきれるものではありません…
ですが、これからのあなた方の幸福な生活を守るためにこれからも私達は戦いを続けます。
住むべき土地を無残にも奪われたあなた方にはその幸福を主張する権利があり、我々にはそれを守る義務がある。
永遠の平和をお約束することは叶わなくともローエングラム皇帝陛下のおわす限り、
この誓い、必ず果たしてご覧にいれましょう…
今はただあなた方のこれからの幸福を私は祈らずにはいられません』

そう長いものではなかったがキルヒアイスの肝心な想いは彼らに伝わったようだった。
彼らはその返事の代わりにとケスラーに一言の伝言を預けていた。

『私達はこの遠い空の下からあなた方の誓いと
その全てを見続けましょう…子々孫々に到るまで』、と。

その日の午後ラインハルトはヴェスターラントの慰霊祭に参列していた。

ラインハルトは元々この式典に合わせてその体調を整えていたのである。
ヴェスターラントの関係者の前で壇上に上がったラインハルトは演説の最後をこう締め括った。

「…全ては、その時若輩で力いたらぬ余の力にあった。
ヴェスターラントの被害者、そしてその親族に到るまでこれからの幸福は
皇帝の名のもとに全力をもってこれを保証するものである」

ヴェスターラントの件はまだまだ解決には時間が必要な問題である。
だがそれはこれから善政を布いて贖うより他に道はない。

その流された血よりも遥かに多くの血を救うことだ。
ヴェスターラントの過ちをラインハルトはすでにその身に染みて思い知っている。

自分に迷いは許されないということ。
そしてその迷いは再びヴェスターラントの悲劇を招くということを…

あの時、自分に少しの迷いさえなければ未然に防げたことなのだ。

”だからこれからは決して迷いはしない…この身をもってオレはそれを証明し続けてみせる”

この先どれほどの苦難がこの身を襲おうとも
傍にはいつもと変わらないキルヒアイスの姿がある。

傍にいるキルヒアイスの姿を確認しながらそう心を決めるラインハルトだった。

ラインハルトが壇上で話しをする中、
キルヒアイスは会議室から部屋へと戻るように言われた時のことを思い返していた。

ラインハルトから貰った鍵で引き出しを開けると
そこには一冊の本があり、本を開くと挟みこむように手紙が入っていた。

それはキルヒアイスにあてたラインハルトからの手紙だった。

いつも傍にいるせいか正直ラインハルトから手紙を貰ったのはこれが初めてのことである。

通信モニターを介して会話することはあっても
手紙でのやりとりなどはこれまでには皆無のことだった。

封筒に自分の名前を確認するとキルヒアイスはそっとその封を開けた。

『キルヒアイス…こうしてオマエに手紙を出すのはなんだかひどく恥ずかしくて照れくさいものだ。
だが、こうでもしないととても今のオレには自分の口からは言えそうにない…
オレはオマエにどうしても言っておきたいことがあるんだ』

ラインハルトからの手紙はそんな始まりだった。
ラインハルトがキルヒアイスにどうしても言っておきたかったこと。

それは…

『今のオレが欲しいもの、なんだか分かるか?
でもオマエならきっと言わなくても分かってくれるだろう?』

”今の貴方が欲しいもの…それは、今の私と同じものでいいのでしょうか…”

『もちろんそれは薬なんかじゃない、オレはもうちゃんと思い出しているぞ?』
浮かぶ涙に文字が薄れてキルヒアイスはまともにその手紙をみることが出来ないでいた。

零れようとする涙を手の平に押さえ込みながら、
ラインハルトの手紙の文面がキルヒアイスの目の中に入ってくる。

『…オマエはいつも、オレと一緒に同じ思いを感じてくれるだろう?』

二人はあの日を境に身体を重ねることがなくなっていた。
だが二人とも自分からは決して言い出せない状況にあった。

キルヒアイスはラインハルトを傷つけてしまった自分を今でも許せないでいたし、
ラインハルトもまた皇帝の名を使って命令してその行為を強いてしまったことに深く後悔を覚えていたからだ。

”ラインハルト様…”

『…なあ、こうは思ってはくれないか。オレ達は一緒にいなきゃ駄目だ…
オマエでないとオレは駄目だし、オマエもオレでないと駄目であって欲しい…だから、キルヒアイス』

”そうです…私はあなたがいないと駄目です…あなたでないと”

『だからオレはあの時の自分を忘れない…もう二度と同じ過ちを犯さないために。
だからオマエも無理に忘れることはない、だがオレはその全て許すよ…そう、決めたんだ』

”ああ…ラインハルト様…私は今、あなたに会いたい…
今この場に貴方がいるならば貴方を息が止まるほどに抱きしめて閉じ込めてしまうのに…ッ”

懐かしいのはその記憶に残るラインハルトの体温。
自分より幾分低いラインハルトの身体の熱が自分の与えた愛撫によって熱くなりその姿を変えていく。

そしてその腕を開いて自分の全てを受け入れてくれるラインハルトの姿がキルヒアイスの脳裏に浮かんだ。

『だから…オマエも全て許してやってはくれないか…?』
そこで手紙は終わっていたが、ラインハルトのベッドに座り込んだまま
キルヒアイスはそこから身動きをすることが出来ないでいた。

手紙を握りしめキルヒアイスは空いた手でその顔を押さえ込む。
震える身体を必死に押さえ込みながら何度もその手紙に書かれた言葉を反芻させていく。

”…やはり、あなたには誰も敵わない…ラインハルト様”

そんなことを心の中で呟きながらキルヒアイスは手紙を自分の部屋に片付けると
気を落ち着かせてラインハルトの待つ会議室へと戻ったのだった。

「キルヒアイス…どうした?ぼっとして」
その言葉にキルヒアイスが一瞬で回想を打ち切ってラインハルトを見やる。

「いえ、なんでも…」
「…なんだ、せっかくのオレの演説を聴いてなかったのか?」
キルヒアイスの様子にラインハルトがからかうように笑いかけた。

「ちゃんと聞いておりましたよ…ラインハルト様」

「本当か…?」
「本当ですとも」
疑い深い目で眺めるラインハルトにキルヒアイスも笑ってそう答える。

獅子の泉を覆った暗闇は最早消え去り今のラインハルトの背には輝くばかりの太陽の姿がある。

そして黄金の髪がその光を受けてなお一層輝きをましてラインハルトを神々しい存在へと変え、
その美しい輝きは常に全ての人々を圧倒する。

”いつも思うが、この方には本当に太陽がよく似合う…”
光の中をゆくラインハルトを見つめながら、キルヒアイスはそんなことを考えていた。

獅子の泉の暗闇が明ける日を皆とともに心待ちにしていた二人だったが今本当に待っていたのは
暗闇の中苦しい想いを抱き続けた夜に終止符を打つための二人だけの今夜のことだった。

悪魔を憐れむ歌/終章・5.獅子は微睡む-1
いつか貴方と二人誰もいない場所へ行くことが出来たなら
などとあなたとそんな話をしたことがありましたね

今の私たちにはそれはとても遠く今ではまるで御伽噺のような話になりますが
あなたは変わらず私と同じその夢を見続けてくれていたのだとこの日私は初めて知りました

あなたが本当に望むなら叶えられないことなどなにもないことを私は知っている
そうして今宇宙に君臨するあなたの姿を今までずっとその傍らで私は見続けてきたのですから─

私はこれからもそんなあなたに導かれるままそれに付き従い続ける事でしょう

ヴェスターラントの慰霊祭を終えたラインハルトは
身体の全快祝いもかねてその日の夜はささやかな園遊会を催していた。

もともと華美をあまり好まないラインハルトであるため
それはアンネローゼとその親しい知人たち、そして自分の部下やその家族といった
ほとんど内輪の間で開かれたものだった。

園遊会というよりはホームパーティのような雰囲気のものである。

忙しい中、皆が交代で園遊会に参加してラインハルトの全快を祝いにやってきていた。

そろそろ夜も更け始め食事を終えた提督達が
端のテーブルに集まり腰を落ち着けて食後酒を楽しみ始めている。

「いや~…いい酒だ」
そういったのはビッテンフェルトである。

ラインハルトの回復を祝い、
早々に仕事を片付けてラインハルトに祝いの言葉を言いにやってきていた。

そのため早くから飲み始めており酔いも随分と回っているようである。
脇でミュラーがビッテンフェルトのその様子を心配そうに見守っていた。

ミッターマイヤーも妻子を連れ立ってこの園遊会に参加していたが、
女性達がかたまって談笑を始めたのを頃合いにこちらに合流したようである。

ミッタマイヤーもまた隣にいるロイエンタールと話をかわしながら
久しぶりに美味しい酒を楽しんでいた。

そんな時にまたしてもミュラーが噂話を持ち出してきたのである。

「…実は、こんな話を先月伺ったのですが」
「なんだ、またかミュラー…今度は、一体どんな話だ?」
普段、提督達はなかなか全員で集まる機会がない。

だからこの園遊会は情報交換にもうってつけの集まりでもあった。
皆が興味津々にミュラーの話に耳を傾ける。

「キルヒアイス元帥が先月、ホテルでとある女性と密会をしていたと耳にしたのです…」
小声で告げるミュラーの言葉を聞いた皆が顔を見合わせる。

「…密会ッ?キルヒアイスが?ほんとか、それは!?」
「ほほう…それが本当ならばなかなかやるではないか、キルヒアイスも」

その話に皆が胡散臭げに半信半疑の目でミュラーを見やるが
ミュラーもそこで引き下がらない。

「ですが、ホテルのロビーでその女性と口付けを交わすところをウチの部下が目撃しているのですよ」
ミュラーのその言葉にその話を聞いていた皆が静まりかえった。

確かにキルヒアイスは回りの女性が放ってはおかないほどの美丈夫ではある。
だが今までにキルヒアイスのそんな浮いた噂などまったく耳にしたことがない。

「…なにか、カンチガイじゃないのか?」
「ううーん…」
皆が普段のキルヒアイスからはどうしてもその話を信じることがが出来ないでいた、その時である。

「なにか、面白そうな話をしているではないか…」
その声に全員が身体をびくりとさせて振り返ると、
そこにはこの皇帝の居城・『獅子の泉』の主である皇帝ラインハルトの姿があった。

「陛下…ッ!!」
全員がその姿に驚いて立ち上がろうとするのをラインハルトが手を挙げて制した。
そしてそのままラインハルトがテーブルの空席に腰を落ち着ける。

「…で、今の話本当なのか?」
ミュラーにその話の続きを聞こうとラインハルトが迫った。

「それは…その…えーと、ですね」
「なんなら、本人に直接聞くか?その方が、早い」

そういって言い淀むミュラーを脇目に
ラインハルトは近くの者を呼び寄せるとキルヒアイスを向かえにやった。

「陛下…ッそれは少々まずいのではッ!?」
「なんだ…どう、まずいのだ?」
ラインハルトの言葉に皆が言葉を返すのを躊躇った。

あまりに真実味がない話の上普段のキルヒアイス本人からもそういった雰囲気を微塵と感じさせないために
そういう話を持ち出す事自体皆には憚られたのだ。

「…別にアイツは聖人君主、とかではないぞ…何に気を使うことがある?」
「そ、それは…そうかも知れませんがっ」
ラインハルトは首を傾げながらそう答えると皆が返答に困ったように顔を下に向ける。

やがてラインハルトに呼ばれたキルヒアイスがテーブルにやってきた。
ラインハルトは隣の空席に手を差し伸べてキルヒアイスを招くとそこへ座らせた。

皆からの異様な視線を一身に浴びたキルヒアイスが首を傾げながらラインハルトに訊ねる。

「あの、何か…?」
「いや、な。ミュラーの知り合いが先月オマエがホテルで女性と密会しているのを見かけたというのだ…
実際のところはどうなのだ、キルヒアイス?」

”それはあまりにストレート過ぎです、陛下…ッ!”

ラインハルトのあまりな直球な物言いに全員が同じ心の叫びを上げて固まってしまった。
そしてそのまま様子を伺うように皆がキルヒアイスに視線を向ける。

「ホテルで女性と密会…私が、ですか?」
「ああ…やはりデマなのですね、申し訳ありません。
キルヒアイス元帥、ウチの部下がそのような戯言を口にしておりましたもので…」

首を傾げて考え込むキルヒアイスにミュラーが非礼を詫びたが、
キルヒアイスが何かを思い出したように言い返してきた。

「思い出しました…あれは、密会ではないのですよ」
「…っておい、キルヒアイスッそれって事実ってことか!?」

身を乗り出してキルヒアイスに聞き返したのはミッターマイヤーだった。
事の成り行きを見守ろうとしていたラインハルトの方へ顔を向けるとキルヒアイスはその説明を始める。

「ええ、あれは先月。陛下に頼まれた件でその女性と待ち合わせをしていたのです…
陛下、覚えておりませんか?」
「…待ち、合わせ?」

ラインハルトは眉を顰めその心当たりを思い出そうと記憶を辿る。

「ええ…ヴェスパトーレ男爵夫人に頼まれ事をされたでしょう?」
「ああ、あれかッ!?」
キルヒアイスの言葉にラインハルトは瞬時に記憶を甦らせた。

「確か…オマエを貸してくれって頼まれたのだ。
どうしてもって言われて…で、なんだったのだ?その用事っていうのは」

「はあ、それがですね…私もその用件を知らされないままホテルに呼び出されたのですよ」
キルヒアイスは顎に手を当てたまま首を傾げさせてその時の事を説明し始める。

キルヒアイスが呼び出しを受けたホテルのロビーで待っていると
ヴェスパトーレ男爵夫人がそこにやってきて突然強引にその唇を奪われたのだという。

「どうやら…聞いた話では、お見合いの話があったようです。
恩のある親戚の侯爵からの薦めでどうしても断れなかったらしくて」

「…で、オマエがその間男を演じるハメになった訳だ」

流石にキルヒアイスが相手となれば見合い相手も引き下がらない訳にはいかない。
見合い相手の恋人が皇帝ラインハルトに次ぐ地位にある元帥ともなればその相手にもならないからだ。

「じゃ、オマエの密会の相手ってのはヴェスパトーレ男爵夫人なのか」
「別に…密会ではありませんが、そうなりますね」
そこで収まると思われた話だったが酔ったビッテンフェルトが更に話を突っ込んできた。

「…だが、ヴェスパトーレ男爵夫人とは以前から噂は囁かれておるが、実際のとこはどうなのだ?」
「ビ…ビッテンフェルト提督ッ」
その言葉を止めようとミュラーが慌てて隣に座るビッテンフェルトを肘でこづく。

「実際もなにも…大体あの方には、他に…」
キルヒアイスがそう言いかけていた時だった。

噂の主であるヴェスパトーレ男爵夫人が
背後からキルヒアイスの頭を抱きこむように押さえ込んできたのである。

「…ジーク、それ以上喋ったら…許さないわよ?」
そういってそのままキルヒアイスの顔を自分の方へと向けさせた。

「あ、そうでした…これは確か内密とのことでした。失礼しました、マグダレーナ嬢…」
「分かればいいのよ…ジーク、もうすぐ帰るから家まで送ってくれるわよね?」

有無をいわせないヴェスパトーレ男爵夫人の言葉である。

だがラインハルトの前でこれ以上余計なことを話して欲しくもなく
キルヒアイスは話を終わらせるためにヴェスパトーレ男爵夫人の申し出を承諾したのだった。

「わかりました…」
キルヒアイスの素直な返事に納得を見せた男爵夫人は
そのまま手を振って皆の輪のなかへと再び戻っていった。

そんな二人のやりとりを不思議そうに見ていたラインハルトだったが
ふとなにかを思いついたようにキルヒアイスに言葉をかける。

「…オマエ、男爵夫人に頭が上がらないのは知っているが、男爵夫人の事は名前で呼んでいるのだな」
「実は…名前で呼ばないと返事をなさって下さらないのです…それで、やむなく」

名前で呼ばないと返事をしない…

その言葉でラインハルトは頭の中にひらめきが浮かんだ。

「それ、だ…キルヒアイス」
「な…なにが、です?」
キルヒアイスの中で長年親友として付き合っていたラインハルトのその態度に一瞬嫌な予感を走らせる。

「決めた…オレも今度、公式の場でもないのにオマエがオレを陛下と呼んだら返事をしないことにする…」
「それは困ります、陛下…ッ」

ラインハルトのその言葉にキルヒアイスは慌てて言い返すが
その先を言う前にキルヒアイスはラインハルトに今度は胸倉を捕まれて
さらに追い討ちのような言葉を続けられた。

「いいか…ッ今度オレを陛下と呼んでみろッ…!オマエに対してのみ不敬罪を適用してやるからなッ」

正直、ラインハルトは禁断症状の間キルヒアイスと身体を重ねる時、
陛下と呼ばれたのが思い出したくないほど嫌だった。

ラインハルトからしてみればキルヒアイスの口からは
もう2度と陛下という言葉は聞きたくないというのが本音だ。

だが皇帝の立場にある以上それが無理なことはラインハルトにも分かっている。
それでもなお返事を返さないキルヒアイスにまわりからの仲介が入った。

ロイエンタールである。

「…オマエの負けだな、キルヒアイス。まあ、別にいいではないか…
オレ達も公式の場以外ではオマエのことは敬称無しでそのまま呼んでいるのだし」
「だな。まあ、今更誰も文句など言わんさ…オマエと陛下が幼馴染なのは周知の事実だ」

ロイエンタールの言葉にミッターマイヤーがフォローに入るとそこにいる皆も相槌でそれに答える。

「…ですが、そういう訳にはまいりませんッ」
「そうなのか…?なら、問題ないな。キルヒアイス」
キルヒアイスの否定をものともせずに思いもよらない助け舟が入ったラインハルトは
更に強気にキルヒアイスにニヤリと笑ってそう答えたのだった。

まだ、キルヒアイスは納得のいくところではなくラインハルトにも曖昧に頷くしかない。

話のきりのいいところで落ち着いたのでラインハルトはその腰をあげた。

「…なら、オレは姉上を連れてそろそろ部屋へと引き上げるとしよう…
今日は、楽しい時間を過ごさせて貰った、皆に礼を言う」

ラインハルトは皆にそういうと笑って礼を述べた。
皆も後に続いて立ち上がり礼をもってそれに答える。

ラインハルトが噂話の礼とばかりにミュラーに言葉をかけた。

「そうだ…ミュラー。こういうのは、どうだ?」
「え…?」
ミュラーがラインハルトのその言葉に顔を上げた時のことだった。
ラインハルトが隣にいるキルヒアイスの唇に軽く自分のそれに触れさせたのだ。

「陛、下…っ!!」
キルヒアイスが驚きの声をあげてその口元を手で覆った。

その言葉に睨みを効かすようにラインハルトが下から見上げてキルヒアイスを見つめ返す。

「今、なんていった…?」
「ライン、ハルト様…なんて、ことを…」
慌てて名前で呼び直したキルヒアイスがわなわなと震えだす様子を
ラインハルトは悪戯に成功した子供のような笑い声でそれを受け止めた。

これは男爵夫人にまんまとその唇を奪われてしまったキルヒアイスに対する
ラインハルトの嫌がらせもかねてのことだったのである。

「ははは…っこれで、また噂のタネが出来たじゃないか」
「笑い事ではありません…ッそれでなくとも私達、昔からよからぬ妙な噂が流されているのに…ッ!」

ラインハルトは怒るキルヒアイスがまた可笑しくて笑い声が止まらない。

「ラインハルト様、あなた酔っていらっしゃいますね!?
一体、どのくらいお酒をお召しになったのです?」
「ふふ…これで2本目。だが、オマエが早く男爵夫人を送ってこないとなると
部屋でまた1本空けることになる…だから、早くいってこい」

笑いながらラインハルトはそういって皆に手をあげるとアンネローゼの元へと立ち去っていってしまった。

その後、取り残された提督達とキルヒアイスは異様な沈黙に覆われていた。

「あの…提督方。陛下は、酔っておいでなのです、よ?」
だが額に手をやってそう弁明するキルヒアイスの声は
途方にくれてしまった提督達の耳に入ることはなかったようである。

”ああ…ッ一体どうしてくれるのですか、ラインハルト様!”

ラインハルトが去った後、提督達のいるテーブルに残されたキルヒアイスは
そのまましばらく気まずい空気の中に晒される羽目になってしまったのだ。

男爵夫人からのお呼びの声がかかるその時まで。

その後キルヒアイスは男爵夫人を屋敷まで無事送り届けるとそのまま再び獅子の泉へと戻った。

そして大きな溜め息をつきながら自分の部屋へ入ったところで
キルヒアイスは自分のベッドの上にいるラインハルトの姿を見つける。

悪魔を憐れむ歌/終章・5.獅子は微睡む-2
「…なにをなさっておいでです?ラインハルト様」
「オマエのベッドで一人酒盛りをしているんだが…見て分からないのか?」

ラインハルトはけろりとした口調でそう言ってのけたが、
流石にキルヒアイスもそこで引き下がりはしなかった。

「もう、駄目です…ラインハルト様、今夜はお酒の量が過ぎますよ」
「…ふむ、今度はアル中にでもなるかな」
ラインハルトは今夜とてもいい酒を飲んだようだった。
気分がいいのかラインハルトからはこれまでにない安堵の表情が見て取れる。

「冗談ではありません、まったく…」
そういってキルヒアイスがラインハルトが手に持ったワインを取り上げると
そのまま部屋のワインセラーへと片付けた。

「キルヒアイス…」
ベッドの上で膝をたて両手を開いてラインハルトがキルヒアイスを招く。
その声に導かれるままキルヒアイスはベッドに腰掛けるとラインハルトを抱きしめると
ラインハルトがキルヒアイスのその背に腕をまわした。

「…もう、随分とオマエの背中に触れてない。ずっと、こうしたかった…」
「そうですね…貴方がつけた背中の爪跡、もうすっかり消えてしまいましたよ」

二人が身体を重ね始めてからラインハルトによってキルヒアイスに時折つけられた背中の傷跡は
ほとんど絶えることはなかった。

だが、今回の件でその傷跡はすっかりキルヒアイスの背中から消えていた。

ラインハルトがキルヒアイスの背中にその指と辿らせ
キルヒアイスがラインハルトの感触を確かめるようにラインハルトを掻き抱く。

それはまるで互いの存在を温もりで確認しているような抱擁だった。

ラインハルトがキルヒアイスの頬を挟みこむとそのまま自分の唇をあわせた。
そのまま唇をわずかに離してラインハルトはキルヒアイスに小声で囁く。

「また、つけていいか…?」
ラインハルトの言葉にキルヒアイスはラインハルトの手を自分の背中に回させて
唇を重ねることでその答えを返したのだった。

そのまま月明かりに照らされた二人の影が部屋の中で折り重なった。

二人は先を急ぐように互いの服を脱がしあいその肌を求めあう。
そしてかつて身体を重ねた時のようにキルヒアイスはラインハルトの肌を愛しんでいく。

手で、唇で。その温もり全てで。
ああ…自分はこれが欲しかったのだと、互いがそう感じていた。

言葉だけでは伝わらない温もりと、触れ合うことでしか感じられない労わり。
身体を重ねるときの一体感とその時一緒に重なるその心こそ今二人が求めていたものだ。

二人は幼年学校の頃から身体を重ねてきた。
傍にいるだけでは足りない何かを埋めるように今まで互いを求め続けてきたのである。

今、身をもって二人はそれを感じていた。
それは身体だけでは埋まらないものであり、だが心だけでもそれは足りないものだった。

「…今まで、この温もりなしで…どうやって、夜を過ごしてきたのか分からない」
「私もです…ラインハルト様」
同じ夢をみよう…そういったのはやはり幼年学校時代の時の話だ。
それから二人は同じ夢を共有しながら供に夜を過ごしてきた。

時にこんな風に身体を重ねて。

ラインハルトの左胸に唇を寄せるとキルヒアイスはその胸の飾りを唇で吸い上げると
ラインハルトはその背を逸らしてキルヒアイスの頭を抱え込んだままそれを受け止める。

「ん…ッ」
両手で胸の尖りに愛撫をしながらキルヒアイスの舌がそのまわりを辿って下へと降りてゆき
やがてそれはラインハルトの下肢に及んだ。

ベッドに腰掛けていたキルヒアイスの愛撫を膝を立てて受けていたラインハルトだったが
すでに膝は下肢の熱により立っているのがやっとの状態だった。

「ふ…う、んんッ」
キルヒアイスに自身を含まれるとたちまち膝から力が抜けてしまったが
キルヒアイスの両手によって支えられた身体は
そのままベッドに腰を下ろしてしまうことが出来ない。

ラインハルトはキルヒアイスの髪を震えた手で掴みあげながら惜しみなく与えられる愛撫を堪える。

「あ、ああ…んッキルヒ、アイスッ」
ラインハルトの声でその限界を悟ったキルヒアイスが
そのままラインハルトを口に含みながらその指先をラインハルトの奥へと忍ばせた。

「んッあ…は」
両手の指に入り口を撫でられてそのままキルヒアイスの指を奥へと受け入れると
ラインハルトはそれに堪えきれずにキルヒアイスの口の中へ自身を解放させてしまう。

「や…ああっ!」
「ライン、ハルト様…」
指を奥に差し入れたまま下から仰ぎ見るようにキルヒアイスがラインハルトを呼んだ。

その言葉に答えるようにラインハルトはキルヒアイスの眉間に唇を寄せると
そのままラインハルトは身体を屈ませてキルヒアイス自身をその口に銜え込む。

「ん、う…ッ」
ラインハルトはキルヒアイス自身を口に銜えこんだままキルヒアイスの指先を奥へと受け入れていた。
時折キルヒアイスから漏れる熱く低い声が心地よくラインハルトの耳に届く。

「…ラインハ…ルト、様」
キルヒアイスの呼ぶ声にラインハルトはその名を呼ばれる幸せに浸っていた。

「もう…しい、です。ライ、ンハル…ト様」
キルヒアイスの苦しそうな声にラインハルトが顔を上げる。

かすかに届いた声にラインハルトは笑みを浮かべ
その褒美を与えるようにキルヒアイス自身から口を離して
そのままキルヒアイスを奥へと受け入れる。

「…あッんん」
ラインハルトが苦しそうな声を上げながらゆっくりと腰を下ろしてキルヒアイス自身を飲み込んでいく。
そしてその全てを飲み込んでラインハルトはキルヒアイスの大腿に腰を下ろした。

熱に浮かされたまま二人は視線を合わすと
そのまま引き合うように唇を深く重ね、舌が絡み合うと同時に腰が動き始める。

キルヒアイスを飲み込んだラインハルトの奥が熱くそれに絡みつき
腰の動きにあわせて貪欲に貪り始めた。

ラインハルトの熱い内部に締め付けられて眩暈を覚えながらキルヒアイスは
ラインハルトの身体を抱えたまま下から突き上げてそれに答える。

ラインハルトは嬌声を上げ続けキルヒアイスの背に爪をたてて更にキルヒアイスを求めた。

「…んっ…もっと…あ、あんっ」
一つになった二人はそのまま自分に足りない何かを補うように互いを求め続けたのだった。

「ずっと…ずっと、欲し、かった…」
「…もっ、と」
二人を捕らえる熱は中々その治まりを見せず、時間を忘れて身体を重ね続けた。

「このまま…離れたくない、な」
キルヒアイスの上に重なるように身体をうつ伏せにしているラインハルトは
そんな言葉を口にしながら自分の奥に受け入れたキルヒアイスを決して解放しようとはしない。

その言葉に答えるようにキルヒアイスもまた
ラインハルトに何度も唇をあわせてそれに答えた。

触れるような口付けから離す度にその角度をかえ徐々に深く舌を絡ませていく。
互いの熱は治まるどころかさらにその高まりを見せるばかりだった。

”ずっと、か…本当にそれが叶うものなら”

キルヒアイスがそんなことを考えながらラインハルトの顔を自分の方へと向けさせると
自分の唇を辿るキルヒアイスの指先をラインハルトがその手にとって愛おしそうに口付けた。

「…そんな顔を、するな。キルヒアイス…オマエの言いたいこと、
オレが分からないとでも思っているのか?」

後継者問題である。

皇帝となったからにはその世継ぎが必要になる。
近頃では見合いの話が嫌でもラインハルトの耳に入ってきていた。

ラインハルトの皇帝としての最終目標は皇帝を必要としない自治を作り上げることにあった。
だがそれはまだまだ一代では不可能なことであり、時間が必要なものだ。

「…オレに、女が抱けると思うか?」
「世継ぎは必要です…私があなたを抱くように抱けばいい」
キルヒアイスの言葉にラインハルトが信じられないものを見るように見つめ返す。

「オマエ、それ…本気で言っているのか?」
「勿論…それでも私はずっと貴方の傍にいて貴方を想い続けることしか出来ないでしょうけれど」

キルヒアイスはそういって自分の頬に当てられているラインハルトの手を
両手で握り締めながら目を伏せて答える。

「では仮に…オレが皇妃を娶ったとしよう。その子供、オマエは愛せるのか…?」
「愛せます…他ならぬ貴方の血を分けた御子です。
きっと…貴方に似て天使のように美しい御子であることでしょう」

”強い貴方の傍に在るために…私は今よりさらに強くならなくてはならない。その全てを許せる強さを…”

ラインハルトはキルヒアイスの全てを許すという。
だからキルヒアイスもラインハルトの全てを許せとラインハルトは言うのだ。

この事件を経て二人は互いの存在に勝る
確かで大切なものなどこの世のどこにもないことを知った。

キルヒアイスの即答にラインハルトはキルヒアイスの新たな決意を再確認した思いだった。

実際そのような事態になればやはりどちらも苦しむだろうが
キルヒアイスにとってラインハルトの存在そのものとその問題は比べられるものではないことなのだ。

ラインハルトにとってキルヒアイスの存在がそうであるように。
キルヒアイスの言葉で改めてそのことをラインハルトは身に染み込ませた。

「…今すぐに、とはいかないが。いつか、オマエにオレの子供を抱かせてやってもいい」
「ラインハルト様…?」
そういいながらラインハルトはキルヒアイスの頬を優しく撫で上げる。

「だが…オレはオマエ以外の人間を愛せそうにない…だから、
その子はオレの代わりにオマエが愛してやってくれ」

「………ッ!」
この世の終わりを見届けたような儚い笑顔でラインハルトはそう告げた。
だがキルヒアイスにとってそれはこれ以上にない言葉だった。

キルヒアイスはラインハルトのその言葉に熱い抱擁をもってそれに答える。

”この想い、今まで何度身体を重ねてもあなたに言葉で伝えることがどうしても私には出来なかった。
だがあなたはそれをいともたやすく口に出来てしまうのですね…こんな時私はいつもあなたには
永遠に敵わないのだということを思い知らされる…”

その後、二人はベッドにその身を横たえさせながらいろんな話をした。

出会ったときのことから今までのことまで
それはまるで御伽噺を話すように二人は夜を明かす程語り続けた。

そして二人が最後に話した事。

「…それって、いわゆる駆け落ちです、か…?」
「そう…いつか、全てを終わらせることが出来たら二人で誰もいない遠い所にいこう」

それは幼年学校にいた頃二人で語りあった夢の話だった。

「宇宙を手にいれるのに10年余り…あと10年でそれを成し得ないなんてオマエは言わないよな?
これから先もオレ達に叶わないことなんて、ない」
「ライン、ハルト様…っ」

ラインハルトはそうしてキルヒアイスの頭を撫でながら
最後に話をこう締めくくったのだった。

「…それまではオレが皇帝を続けてオマエを食わせてやる。
だがそれから先オレは働かないからな…オマエに養って貰うことにする。
だからその時がきたら今度は、オマエの夢を二人で叶えにいこう?」、と。

二人はこの時からまた新しい夢を見始める。
その夢もまた今の二人には先の見えない遠い未来のことだ。

だがその手で夢を実現させて宇宙を手にいれたように
今度の夢もまたきっと二人は叶えることが出来るだろう。

暗闇の開けた獅子の泉に静かにその年の初雪が舞い降り
その雪を眺めながら二人はやがてくる新たな年を迎えようとしていた。

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