这次要学习的是动词的可能态,表示能够做某动作。和之前学的ことができる意思相同。(句子只是一个动作就用可能性,句子是一个小句就用ことができる)
一类动词可能态:最后一个音改え段,加る。比如書く 書ける 書けます。帰る 帰れる 帰れます。
二类动词可能态:る直接变成られる。寝る 寝られる 寝られます。食べる 食べられる 食べられます。
三类动词可能态: 来る 来られる こられます。する できる できます。散歩する 散歩できます。
可能态有两种意思,第一种是自身能力(我会日语,我会画画),第二种是状态,允不允许(这里不允许拍照,这里不能游泳)。
以前学过見える:看得到。现在的可能态:見られる:能看到。两者有什么区别呢?
見える是指映入眼帘的画面,比如我能看到前面的风景画面。
見られる是指状况上能不能看,举例日本的电影日本上映了能看到中国没上映看不到。日本で見られる、中国で見られない。
同样的聞こえる也是指自然而然能听到,听得到附近有人在唱歌。 聞ける是状况上听不到,比如消息被封锁了我们是听不到目前进展的。
语法一:如何使用可能态造句。小戴说英语:戴さんは英語を話す。小戴会说英语:戴さんは英語が話せる。两个步骤首先助词用が动词用可能态。
我会说一点日语:私は日本語少し話せる。
语法二:よく見えるように、大きく書きました。为了能好好的看清楚,把字写大了一些。这里的~ように和之前学的~ために是意思相同,都是说为了……区别在于~ために是指为了去某事,要用动作动词。而~ように前面句子是结果、状态的动词,大多数自动词、可能动词和它的ない型接续。
日本に留学するために、貯金している。为了去日本留学,正在存钱。
日本に留学できるように、貯金している。为了能去日本留学,正在存钱。
できる是する的可能态,する是他动词,语法上是这样接续。其次按照我的理解是:去日本这个动作是人为实现的。但是能去日本是一个结果,尽人事听天命,这种结果是不可控的,人的意志无法控制。
语法三:怪我が治って、歩けるようになりました。因为伤好了,他变得能够走路了。(能力上的改变)
原型~ようになる是指状况习惯的改变。小李变得去常去图书馆了。李さんはよく図書館へ行けるようになりました。
可能型~ようになる是指能力上的改变,过去做不到现在做到了。我变得会说日语课。日本語が話せるようになりました。
如果不用可能型态的话是跟能力没关系的,李さんはよく図書館へ行けるようになりました。小李变得能经常去图书馆了。第二层意思指他以前不能经常去图书馆,可能最近升级了vip吧……
语法四:动作原型~ようにしている。为了某目的,刻意持续做某个动作。小李每天坚持读英文报纸。李さんは毎日英字新聞を読むようにしています。
语法五:写真を撮らないようにしてください。请尽量保持不要拍照。~ないようにしてください。是ないでください的委婉表达。
你知不知道森明天能不能来?
森さんが明日来られるかどうか、知っていますか?
这里是用了以前的语法“来るかどうか来呢还是怎样呢”
知っていますか的接续前面是名词宾语,名词を知っていますか、动词の/ことを知っていますか、疑问词か直接加。
如果森明天不能来的话,就请小李来吧。
森さんが来られないなら、李さんに来てもらいましょう。
请某人做某事:誰に 动作て もらう