作者:杨微粒
前段时间日本弄了个大新闻,就是小保方论文造假事件。于是冒出来了一堆书,把她批判一番。榎木英介的《虚假与绝望的生命科学》就是其中之一。但是这位作者主要是在描述生物课研界的体制问题(俗称:黑生物),小保方造假的经过只是个引子。
作者履历:
1971年日本神奈川县横滨出生。1995年东京大学理学部生物学科动物学专业毕业。东京大学同专业博士课程肄业。之后,在神户大学医学部医学科就读本科。2004年取得医师从业资格。2006年医学博士。现为近畿大学医学部病理学教室讲师。
这也可以算是退坑前辈了吧(当然日本亚马逊上也有书评抱着「三百六十行行行出状元」的心态给作者打了一星)。日本和中美不同,IT产业并不是人人趋之若鹜的状态,所以从生物这个坑跳出来的日本人似乎很多改行学医去了(IT业也是制造业,日本IT产业奇葩在哪儿)。
至于本书的大部分内容,对于在知乎上看了许多黑生物的文的笔者来说其实挺熟悉了(还有一部分内容是讨论学术不端和生物学界学术不端的多发原因。生物行业科研人多、publish压力大、生物科研结果重现程度差都对其有影响。)
21世紀はバイオの世紀?
大学院生の数は1991年から2000年までに倍増したが、教員は増えない。大学院博士課程の大学院生は、まともな教育を受けず、単なる労働力として酷使されている。ある教授は、「大学院生にアタマはいらない」と言い放った。ある教授は、「大学院生はただでつかえる労働力」と断言した。
21世纪是生物的世纪?
日本研究生的数目从1991年到2000年翻了一番,但是教员数量没有增长。(生物专业的)研究生没有接收到合适的教育,只是作为苦力被压榨。一位教授放言:“研究生不需要自己动脑。”另一位教授则断定:“研究生不过是免费使用的劳动力。”殿様生物学の時代
その昔、生物学は殿様がするものだった。 私が卒業した東京大学理学部生物学科動物学専攻の名簿を遡って行くと、どこかで聞いたことがあるような名前の方々が出てくる。黒田長久氏もその一人。その名前からピンとくる人もいると思うが、あの黒田官兵衛の子、長政にはじまる福岡黒田家第15 代当主にあたる人物で、山階鳥類研究所で長らく活躍された。長久氏の父である黒田家第14 代当主長礼氏もまた、同大学同学部同専攻の卒業生で鳥類学者だった。黒田家は明治以降、軍師ではなく「鳥師」になっていたのだ。 他にも大名家や貴族の子孫の方々がちらほらいた。五摂家の一つ鷹司家出身の鷹司信輔氏、信州松代藩真田家出身の清棲幸保氏、津山藩松平家出身の松平康良氏、河内丹南藩高木家出身の高木正得氏、新庄藩戸澤家出身の戸澤富寿氏などだ。山階鳥類研究所創設者で皇族出身の山階芳麿氏も選科(大学院)で学んだという。『殿様生物学の系譜』(「科学朝日」編 朝日選書 1991)によれば、大名家や貴族出身で生物学を研究した方々が多数いたことが分かる。 大名どころか、皇室の方々も生物学を研究している。昭和天皇はヒドロ虫類の分類学の研究を行っていたし、今上天皇はハゼの分類学の研究をしている。秋篠宮文仁親王はナマズなどの分類学を研究し、博士号(理学)を取得している。 ここで一つ疑問が浮かぶかもしれない。 物理や数学ではなく、なぜ生物学か。生物は多様だから、分類学などは研究テーマに限りはないし、競争も少ないので自分のペースでできるというのもあるだろう。数学や物理学など特殊な才能を必要とする分野ではない、というのも大きいかもしれない。 理由はともあれ、日本の生物学は貴族が余暇で行うような学問だったのだ。 もちろん今でも分類学は行われているし、重要な分野だ。しかし、生物学の研究の主流はもはや分類学にはない。
贵人生物学的时代
过去,生物学是贵人才会从事的研究。
我翻过我毕业的东京大学理学部生物学科动物学专业的学生名单,其中有很多似曾相识的名字。黑田长久既是其中之一(我想有人光看到名字就知道我想说的了)。他是福冈黑田家(以黑田官兵卫之子黑田长政为始祖)第15代家主,长期活跃于山阶鸟类研究所。他的父亲、黑田家第14代家主黑田长礼氏也是同一大学同一专业毕业的鸟类学者。……
其他大名和贵族的子孙中也有不少生物学家。出身五摄家之一的鹰司家的鹰司信辅氏、出身信州松代藩真田家的清栖幸保氏、出身津山藩松平家的松平康良氏、出身河内丹南藩高木的高木正得氏、出身新庄藩户泽家的户泽富寿氏……。据说创设山阶鸟类研究所、出身皇族的山阶芳麿也是在(学习院的)选修课上学的(生物)。《贵人生物学的系谱》(「科学朝日」编朝日选书1991)一书说,有很多出身大名、贵族家庭的人在研究生物。
除了大名,日本皇室中也有人研究生物学。昭和天皇研究过水螅虫的分类学。今上研究过鰕虎亚目的分类学。秋篠宮文仁亲王研究过鲶鱼的分类学,并获得了理学博士学位。
这里有一个问题:为什么他们研究的不是物理或者数学而是生物呢?
这恐怕是因为,生物是多种多样的,分类学之类的研究课题基本是要多少有多少,缺乏竞争,可以按照自己的步调来研究。也很有可能是因为这个领域不像数学或者物理学之类的领域那么需要特殊的才能。
……
但是,现在分类学已经不属于生物学研究的主流了。1953年,年轻的分子生物学家詹姆士沃森和弗朗西斯克里克……(以下略)