每年的春节你回家了吗?没能回老家的人,一定都很思念家乡的父老乡亲和家里父母作的菜肴。春节是中国人一家团聚的日子,这里寄托了太多对家的归属感和眷恋。从城市到农村,从南到北,从西到东,不顾劳累,只是为了一个目的:「我要回家」。
毎年の春節、貴方は帰省しましたか?故郷に帰れなかった人はきっと実家の親族、親が作ってくれた料理が懐かしくなり、郷愁を感じるでしょう。春節は中国人の一家団欒の日で、ここに家への帰属感と懐かしさが深く込められています。都会から農村へ、南から北へ、西から東へ、苦労を顧みず、ただ一つの目的の為、「私は家に帰る」。
日本横滨是一座海外华人比较聚集居住的大城市。在日本读书的第二年,每天从学校到居住的地方都会经过横滨车站,可是由于每天都很忙,没有机会下车去横滨看看。
日本の横浜は海外華人が比較的に集中して居住する大都会です。日本で留学した二年目の時に私は毎日学校から住んでいるところまでの途中、横浜駅を経由しました。しかし毎日忙しかった為、下車して横浜を見る機会がありませんでした。
冬天的某个深夜,为了节省车费,选择了一个便宜些的路线回家,不幸的是由于中途出现了故障,最终抵达横滨车站时已经没有可以换乘的电车。结果就这样,第一次到横滨,竟然是以“无家可归者”的状态度过的。那一夜,寒风刺骨,车站里都关上了门,只能在路边一开始看着一些年青人深夜不归跳街舞,最后和一个流浪的日本老人在聊天不知觉中度过了第一个横滨之夜。
冬場のある深夜、電車代を節約する為に一つ割安の帰宅路線を選びました。不幸なことに途中、故障の発生により最終的に横浜駅に着いた時は既に乗り換えられる電車がなくなっていました。結局、このように初めての横浜でしたが、「ホームレス」という状態で過ごしました。その夜、風が骨身まで浸みるほど寒かったし、駅内も全ての扉が閉められた為、やむを得ず路上で最初は何人かの若者達のストリートダンスを見たりして、最後に一人のホームレスの日本人老人と喋ったりして思いもかけず初めての横浜の夜を過ごしました。
到过日本的外国人都会感到这是个十分井然有序,干净的国家。更加另人惊奇的是日本见不到乞讨的人(除了和尚化缘外),更见不到乞讨的孩子,带孩子一起乞讨的女人或残疾人。日本没有讨饭和钱的乞丐,真是一个极其独特而又另人费解的事。
日本を訪ねた外国人は非常に規則通りきちんとして、綺麗な国だと皆感じています。更に驚くことに日本では乞食者(僧侶が布施を請うことは除外)が居なく、ましてや乞食をする子供や子供連れの乞食をする女性や身体障害者さえも見当たりません。日本に食べ物とお金を乞う人が居ないことは本当に独特かつ理解しづらいことです。
据统计,在日本东京有2000多无家可归者(以下称流浪者),平时他们都会在车站收集下电车的乘客丢到垃圾箱里的杂志或者空饮料瓶罐来维持生计,他们大多数都是中年或者老人。日本为了贫困的人设立了「生活保护」的政策,每个月流浪汉可以申请一定的救济金,但据报道大多数的人拒绝领取,据说他们认为维持自己的生活要靠自己,这是做人的尊严问题。日本的流浪者一般会在车站,河流附近的桥底,公园用纸板搭建简单的房子,鞋子和生活物品整理的井井有条…虽然落魄,这些人却展示着日本社会的井然有序以及礼节。
統計により、日本の東京には2000人余りのホームレスが存在しています。普段、彼らは電車の乗客がゴミ箱に捨てた雑誌や空き缶を拾い、生活を維持しています。彼らの殆どは中年か老年です。日本は貧しい人の為に「生活保護」という制度を設け、毎月一定の救済金を受け取れますが、報道により多くのホームレスは受け取りを拒んでいます。彼らは自分の生計は自分で立てることが人間としての尊厳だと感じているというようです。日本のホームレスは一般的には駅や河川近くの橋の下や公園にダンボールで簡単な小屋を建てて、靴や生活用品等はきちんと並べられたりして…落ちぶれた人とはいえ、これらの人達は日本社会の「規則通りきちんとする」という礼儀が反映されています。
后来了解到,乞讨行为在日本的「轻犯罪法」里的第1条第22号规定是被禁止的,也就是说是一种犯罪行为。同时日本的「儿童福祉法」规定,利用儿童乞讨是违法的。日本针对流浪者有区域性的巡视协商制度和生活保护措施,对残疾人士还有专门的减税、免税和就业扶助措施。日本流浪者的年龄大多在五十岁左右(日本社会六十五岁为退休年龄)。
その後、乞食行為は日本の「軽犯罪法」の第1条第22号で禁止されていることが分かりました。即ちこれは犯罪行為の一つと見なされます。同時に日本の」児童福祉法」では子供を利用する乞食は違法なものだと定められています。日本はホームレスを対象に地域的巡視相談制度と生活保護制度、障害者を対象に減税や免税及び就職支の措置を設けています。
日本是老龄社会,劳动力缺乏,所以规定退休年龄要比大多数国家高。流浪者原来多是体力劳动者,教育水平低,到了这个年龄想找到合适的固定工作非常困难。即使打零工,大多数日本公司都认为有固定住所的人才可以信任。流浪者由于处于被社会抛弃的状态,即便想努力去工作,也只有可能找到报酬最低,又最脏最累的活。我想,流浪者在任何国家都是一个不容忽视的社会问题。
日本のホームレスの年齢は殆ど50歳前後(日本社会は65歳定年制)で、高齢化社会と労働力不足なので定年年齢は多くの国より高いのです。ホームレスは元々肉体労働者で教育水準が低く、この年齢になると相応しく安定した職業が見つかることは非常に困難です。バイトでも、多くの日本の会社は固定の住所を持つ人しか信頼できないと思われます。ホームレスは社会に捨てられた状態に有る為、仕事に励みたいと思っても、報酬が最も安く、最も汚く最も辛い仕事しかありません。ホームレスはどんな国でも無視できない社会問題だと思います。
反观中国,无家可归者大多数是乞丐,再进一步讲其中很多是缺胳膊断腿的严重残疾者,甚至常会在寺庙、饮食店、车站、地下通道等处看到孩子或带孩子的父母进行乞讨。有报道说这后面有很大的一个犯罪团伙,他们专门把小孩偷来,故意弄残废(比如弄断手脚、故意烫伤等等),然后就叫这些孩子们在街头行乞,而他们自己在后面数钱。还有在中国现实上比起在农村劳作,在城市里乞讨会容易挣到钱。面对乞讨者,是否给钱也成了一个十分考验人的善良和怜悯心的事。
対照的に中国のホームレスは殆ど乞食者で、更に言えばその内の多くは殆ど手腕や脚が無くなった重度な障害者です。お寺や飲食店や駅や地下通路等で子供又は子供連れの親が乞食をすることは常に見られます。ある報道ではこの裏事情としては規模が大きい犯罪団体が存在し、彼らは盗んできた子供をわざと障害者にさせ(例えば手足を折られたり、火傷を負わされたりして)てから、街頭で乞食させて、後ろでお金を回収するという。それに中国では農村で働くよりも都会で乞食をした方が儲かるという現実もあります。乞食者に会うと、お金をあげるかどうかについても人間の善良及び同情心を鍛えることになります。
在中国的网路上,不时也能见到“加强流浪乞讨人员救助管理工作”之类的新闻,基本上就是过年过节时给这些乞讨人员发点吃的用的,但是这并不能从根本上解决问题。春节后他们照样还是无家可归,生活无着。更让人感到痛心的是,大多数的人对于乞讨者都抱着给了钱后,心情很复杂,有种被骗的想法。所以渐渐的大家对身边众多的乞讨者习以为常,就算看见了也很漠然。
中国のネットでは偶に「ホームレス乞食者の救助管理を強化」というニュースが見られます。基本的には祝日や春節の際にこれらの乞食者に食べ物と生活用品が配られますが、抜本策ではありません。春節後相変わらず家が無く、生活が保障されません。これより多くの人が乞食者にお金をあげたら、気持ちが複雑で騙されたのではと心配してしまうことは心をもっと痛ませます。従って段々と皆は周りの多くの乞食者に会ってもはっきりとした関心を持ちません。
「我想有个家,一个不需要华丽的地方,在我疲倦的时候,我会想到它;我想有个家,一个不需要多大的地方,在我受惊吓的时候;我才不会害怕」最后借助台湾潘美辰歌曲里的歌词,希望我们每个人的生活无论苦乐如何,都能珍惜家庭,珍惜家的温暖。
「私は家が欲しい、一つ華麗でなくても良いところ、疲れた時にそこを思い出せるところ;私は家が欲しい、一つ広くなくてもよいところ、驚いた時に怖がらないところ」最後ですが、台湾歌手潘美辰氏の歌詞を借りて、生活はどんなに苦しくても誰でも家庭を大切にし、家の暖かさを大切にしていきましょう。