一、原文:
2コミュニケ—ションが苦手な人が増えている
学校にもなかった「会話」の授業
会話の苦手な人が多い理由として、正しい会話の仕方を習ってこなかったということがあげられます。
思い返すと、私は学校の授業で「会話」を教わった記憶がありません。
まあ、会話などは自然に身につくものだと思っていましたし、教師としてもどうやって教えたらいいのかわからない状態だったのでしょう。
文法や漢字をおぼえる作業なら採点のしようもありますが、会話の良し悪しを判定する基準など、もともとないのです。
もつというと、話し方教室というのも、私が知る限りでは、文字通り「話し方」を教わるところで、「会話」ではないところが多いようです。
会話というもの自体がそれほど重きを置かれていなかったともいえます。 前提として、わざわざ学校で教えなければいけないほど、みんな不自由を感じていなかったのです。言語と同じようにふつうに親や友だちと接していれば、自然に身につく類のものでした。
しかし、近年ではそれが「自然に」身につかなくなってしまったのです。
あなたは何人家族で育ちましたか?
まず家族構成の変化による影響があります。
私は、一番多いときで、両親と兄弟二人、そして祖母と一緒でしたので、6 人です。近所の家庭を見ても、4人から7人くらいの家族が一般的でした。
時代の変化や景気の影響もありますが、今ではもっと少なくなっていますよね。一緒に暮らす人の数が減っているのが現状です。 それはそのまま、人との関わり方の練習の量に比例します。
父親に対する接し方と母親への接し方はおのずと違ってきます。また祖母との距離感なども、子供ながらに自然に学ぶことになります。
今日は父親の機嫌が悪そうだから、テストの結果は見せないでおこう。
祖母が寂しそうにしているみたいなので,話しかけてあげようか。
などのように、相手の態度や雰囲気の違いを察しながら、接し方を選ぶことをごく自然にやっていました。
もちろん、接し方を失敗することもたくさんあります,そうして怒られたりしながら、身をもって学んでいくのです。
家族というのは、なんでも言い合えるようでいて、案外気を使って接しなければいけない一番身近な他人です。
もしも家族が互いに我を張り通して仲違いしようものなら、それぞれの生活や人生までも変わってしまうことにもなりかねません。人付き合いにおけるギリギリラインを見極める訓練にもなっていたのですね。
ゲームが遊びの中心
私が子供のころには、親から「テレビなんて観てないで外で遊んできなさい」とよくいわれたものです。子供は外で友だちと一緒に遊ぶのが当たり前でした。それが、テレビゲームが家庭に入ってきてからは、子供の遊びが一変してしまいました。
かくいう私も、どっぷりはまってしまい、いつもひとりでテレビの前に座って過ごしていました。当然、その時間は誰ともしゃべりません。友だちはおろか親や家族との会話も激減していたのです。
さらに、機械が相手なのでこちらがミスしてもなんら困ることはありませ ん。単にリセットボタンを押せばOKです。その習慣からか、会社に勤めてもすぐに辞めてしまう人が増えています。もう少し工夫や改善を試みてもいいのにという場面でも、上司に相談することもなく簡単にリセットするクセがあるようです。
このような時代背景も、会話が苦手な人が増えている理由です。
二、梗概:
交流困难的人增多有以下两个原因:
第一个原因是:没有学习过正确的会话交谈方式,一般都是通过与身边人的交流中慢慢的掌握会话。
第二个原因是:在电子游戏进入家庭后,孩子的玩乐形式发生了变化,以前都是到外面跟朋友一起玩,而现在都是做在电视机前玩游戏,与朋友跟家人交流的时间大幅度减少,同时,相处的对象又是机器,游戏玩着不顺利直接按重启按键,没有任何困扰,这样简单粗暴的相处方式也带到了以后的工作当中。