一定のリズムを刻む雑音が気になって仕方がない。まるで工場の作業員になったかのようだ。
家庭科の授業、特にお裁縫は一番の敵だった。センスもやる気もまったくなかった僕は
いつも居残りをさせられた。いくら居残ろうができないものはできない。むしろ事態は悪化してしまう。居残りにも限度があり、残りは宿題として持ち帰りが許された。もっとも、家でやろうがどこでやろうが同じことであるが。
家庭科は受験に必要ない。受験生には時間がない。そんな屁理屈でその宿題は母にやらせた。受験生になった途端、学校の意味さえ変わってしまったようだ。すべては受験のため、いらないものは排除して、受験勉強に回す。いまでもこんな暗黙のルールはご健在だろう。おそらく教師までもがそれを黙認していることと思う。
受験、少なくとも中学受験では、生徒ではなくて親が主役なのかもしれない。遊びたい盛りの子供に勉強するよう叱責し、逆に睡眠時間をけずってまで勉強するわが子の体を心配するという矛盾の中で葛藤する。ランドセルを置いたら、休みなく自転車に乗り塾へ行く我が子の背中を見送り、大きなバッグに背負われて揺れる小さな身体に目を潤ませる。
そんなことに僕は気が付かなかった。親のために受験する、自分は受験させられているんだ。こんなことを思って、親を、特に母を恨んだこともあった。子供の将来を思って、受験の世界へと我が子をあずける。これは、体力的にも経済的にもきつい選択であり、親の見栄だけでやり遂げられるものでは決してない。我が子を思う気持ちがあるからこそ為せる業なのだ。
今思うと母はほとんど寝ていなかった。夜中まで勉強していたとしても、母が僕より先に寝ることはなかった。にもかかわらず、朝、僕より遅く起きることはなかった。いち早く起きて、朝食の準備やらを済ませてくれる。こんなつらい生活に母は愚痴ひとつこぼさなかった。もっとも、僕は受験生であること、遊ぶ時間もないこと、すべての不満を母のせいにしていた。しかし、あらゆる時間を削っていたのは母のほうであり、僕は母の時間をもらっていたのだ。それに気が付くことも、感謝することもなかった。
家庭科の時間。裁縫はできあがっていた。母は、手伝ったことがばれぬよう、すこし曲がった縫い目を作ってくれていた。白い布に青い糸。ふと目をやると、赤い点がある。夜なべをして縫ってくれたのだろう。眠気のなか、針で手をさしてしまったようだ。その血の跡は母にとっては何でもないことかもしれない。しかし、僕には警告であった。それをじっと座って見つめてこころを痛めたことを思い出す。
今でもその風景はよみがえってくる。当時の家庭科室であるが、そこに座っているのは小学五年生の僕ではなくて、今現在の僕なのだ。
赤い点を無表情でじっと見つめている。しかし、ミシンの音には気づいていない。