2
“怎么办?孩子说想买车呢。”桥仓孝之的妻子澄子说道。她说的“孩子”,是他们的儿子直也。
“他想要车吗?我想想,这个嘛,就买给他吧。学习上他的确用功了。”桥仓答应了。
直也在高考落第复读一年后的春天,终于考上了大学。
“不过,他想买的车挺贵的啊。他说,他想买一百五十万日元的。”澄子又道。
“现在嘛,要买车的确也要这个价位。”桥仓应了一声。
“那孩子其实想要的是进口车吧?不过,他可能觉得如果开口要进口车,一下子就要五、六百万日元,所以,就只好说国产车了吧。”桥仓哈哈笑了。
“算了,他总算是考进大学了,给他这么个奖励也没话说。咱们也买得起。”这事就这么定了。
的确如此。战争结束已过了45年,51岁的桥仓,有能力为考上大学的儿子买辆一百五十万日元的车了。从第一份工资9800日元,一直走到了今天。
儿子直也在高考时,应届和第二年重考都参加过十所以上大学的招生考试,光考试费就交了几十万日元。应届高考落第后,儿子进补习学校,交了大约80万日元。现在终于能跨入大学门了,加上大学入学费,至此,前后大概花了300万日元。为儿子花了这些钱,另外还要给他买一百五十万日元的车来奖励他。
“这样娇惯孩子,合适吗?学费要花,还有房子的还贷,并不轻松啊。”妻子担心地说道。
“反正,还花得起,就这样吧。”桥仓回答。
桥仓有自己的房子,在他35岁时,按揭30年买下的。虽说上班要花2小时,可不管怎么说,总是有自己的家了。在地价狂涨前有了自己的房子,是他的幸运。换现在,恐怕买不起房子了。
房贷绝对不是轻松的负担。不过,看到买下的土地价格噌噌地往上涨,他乐得不行。每当他问起附近新建住宅的价格时,他都是一边惊叫“哇,要这么贵啊!”,一边脸上泛起微笑。
他就是这种境遇的有房族。
除此之外,要给儿子买车,还是一步到位。
“可是,别忘了咱还有麻子呢。”妻子又道。
麻子是直也的姐姐,马上就要大四了。
“麻子她怎么啦?”
“那孩子,她说她想在大学期间去海外旅行。”
“噢,海外旅行啊。”
“好像是朋友邀她一起去的。作为毕业纪念的环欧洲游,最近好像很流行的。”
“是吗?这种旅行花个百万日元估计是要的。”
“做父母的承受不了啊”
“话是这么说,这些费用还是要为孩子们出的。”
桥仓摆出一副一定要为孩子们花这些钱的气概。
“老公,你呀,对孩子太溺爱啦!”
“嗯,也许是这样吧。能做到就做嘛,有什么不好?我像他们那般年纪时,家里穷,连上大学都只好放弃了。这事这么长时间了,我心里还一直纠结着。所以,我希望不管怎样都要让直也上大学。”
“这我也知道呀。其实,我也经历过那个贫穷的时代。”
“总算从那个时代走到今天了。所以,不管怎样,为孩子只要能做的就做,这样不是挺好的吗?”
“话说回来,麻子是女孩子,迟早都要出嫁的。那个时候又得花钱了呀。”
“那还远着呐。”桥仓一副不以为然的样子应了一句。
“可是,最近结婚仪式越来越讲究气派了,真是不得了了。听说,光仪式就有人花六百万甚至七百万日元呢!”
桥仓用力点了点头,说道:“我们也得这么做。一般人怎么做,咱也得怎么做嘛。”
日本人变得能以几百万日元为单位,竞相花钱。世道真的发生巨变到如此程度了吗?
年轻一代仅仅知道那个时代而已,并不觉得什么特别,但是,从这45年一路走过来的人,如果仔细想想看,就觉得这真是奇迹般的变迁。从菜粥盒饭,到七百万日元的结婚仪式——就这么一路走过来了。
桥仓并非是一个与众不同的人。他的房子若非在幸运的时机买下,他一生也许都无法拥有。但是,其他的事情,比如作为入学祝贺送儿子的汽车、为女儿毕业纪念的海外旅行、七百万日元的结婚仪式等,这些都是一个普通的父亲能给孩子的。
确切地说,那些钱刚好是他最能出得起的钱。
现在,日本普通家庭如果想豁出去的话,几千万日元的钱还是拿得出的。不过,几千万日元能买到的东西并不怎么多。若是能买到拥有土地所有权的房子,那还算好,可是,即使到很偏僻的地方去寻找,那些房子也都要几亿日元才行。
如今,几千万日元的东西,要么就是已有土地的人在自己的土地上盖的相当不错的房子,要么就是近来终于集聚了人气的新兴小区的别墅或公寓。
其他能用几千万日元买的东西就没有了。因此,几百万日元的东西,干脆就胡乱买了。汽车也罢,海外旅行也罢,高尔夫球会员也罢。于是,这些商品就越卖越好。
日本人的消费能力,都体现在对高档商品的消费。这种经济实力令人吃惊。
在街头电视台采访征询有关消费税的意见时,有不少主妇会说“我们老百姓的生活过得苦着呢”,其实,这不过是习惯性的说法。如果真的过得苦的话,谁会让儿子去租住公寓读书,每月还给几十万日元的生活费呢?(为慎重起见,我本人对消费税的意见另当别论)。
当然,在一个家庭中,碰到孩子上学或者女儿出嫁等情况,都会比较拮据。
45年前,饿死人也不稀罕,从那个时候开始,一路走到了现在——百万日元的东西都可以不用考虑地买啊买啊的。这是桥仓孝之那一代日本人艰苦奋斗的结果。
2
「どうするの。あの子、クルマ買ってほしいって言っているわよ」
と、橋倉孝之の妻の澄子が言った。あの子、と言うのは彼らの息子の直也のことである。
「クルマか。まあ、そのくらいのものは買ってやらなきゃしょうがないだろうなあ。よくがんばったんだから」
直也はこの春、一浪したあげくにやっと大学に入ることが決まったのである。
「でも、なんか高そうなこと言ってるわよ。百五十万円くらいのがほしいんですって」
「今はまあ、そのくらいするわな」
「本当は外車がほしいんだけど、それだとすぐに五、六百万いっちゃうから、国産車で我慢するんだって。言ってくれるわよねえ」
ははは、と橋倉は笑う。
「まあ、大学に入ってくれたんだからそのくらいの褒美はしょうがないか。買ってやることはできるんだからな」
そうなのである。終戦から四十五年たって、五十一歳になった彼は、息子に大学合格の褒美に百五十万円のクルマを買ってやれるようになってしまったのだ。初めてもらった給料が九千八百円のところから、ここまで来てしまったのだ。
息子の直也は、一年目も二年目も、十以上の大学を受験したのだ。受験料だけでも何十万円である。そして浪人して予備校に払ったお金が約八十万円。そして目出たく合格して、そこに納めた入学金その他が約三百万円。それだけ出してなお、褒美に百五十万のクルマを買ってやれるのである。
「そんなに甘くていいのかしら。学費だってかかるし、それとは別に家のローンだってあるし、楽じゃないのよ」
「でもまあ、やってやれるんだからいいじゃないか」
橋倉は、自分の家も持っているのだ。三十五歳の時に、三十年ローンを組んでそれを手に入れた。通勤に二時間かかる場所なのだが、何であろうとマイホームを持っているのである。地価の狂乱上昇の前に、家を持ったのは彼の幸運であった。今からなら、ちょっと家は持てないであろうと思えるのだが。
ローンは決して軽い負担ではないが、それより、買った土地がこのところぐんぐん値上がりしているので笑いが止まらない。近所に新しくできた建売住宅の値段をきくたびに、わっ、そんなにするのかと、顔がほころぶ彼なのであった。
そういうわけで、彼は家持ちである。
そしてそのほかに、息子にクルマくらいはポンと買ってやれるのだ。
「でも、麻子のことだってあるのよ」
麻子というのは直也の姉で、今度大学四年生になる。
「麻子がどうした」
「あの子、大学生のうちに海外旅行をしたいって言っているのよ」
「ああ、海外旅行ね」
「友達から誘われるらしいの。卒業記念にヨーロッパを一周、というのが最近では普通のことらしいのよ。
「そうか。百万くらいかかるな」
「親はたまらないわよね」
「まあそうだが、そのくらいは出してやれるんだからさ」
橋倉は、それを出してやる気でいるらしい。
「あなたは子供に甘すぎるのよ」
「うん。そうかもしれんがね、できるんだからしてやればいいじゃないか。おれがあいつらの頃には、貧乏でできなかったから大学だってあきらめなきゃいけなかった。それを、長い間くやしく思ったものだよ。だからおれは直也にはどんなことをしてでも大学に入ってほしかったんだ」
「それは私もわかっているわよ。私だって昔の貧乏な時代は知ってるもの」
「それが、今はここまできたんだ。何でも出来るだけのことをしてやりゃいいじゃないか」
「でも、麻子は女の子だから、いずれお嫁に出さなきゃいけないのよ。その時にはお金だってかかるんだから」
「まだ、それはかなり先のことだよ」
そうでなければ、という顔をして橋倉はそう言った。
「でも、近頃は結婚式がすごく派手になって大変らしいわよ。式だけで六百万とか七百万もするっていうんだから」
橋倉は力強くうなずいて、こう言った。
「してやろうじゃないか。世間並みのことはちゃんとしてやらないとな」
日本人は、何百万円という単位のお金を、ドカドカ使えるようになったのである。こんなにすごい変化があるだろうか。
若い世代の人間は、そういう時代しか知らないから、特に変なことだと思わないのであるが、この四十五年をずーっと知ってる人間にしてみれば、よくよく考えてみると奇跡のような移り変わりである。雑炊の弁当から、七百万円の結婚式まで来てしまったのだ。
橋倉は特別の人間ではない。家のことだけは、幸運なタイミングでそれを手に入れていないと、一生持てないかもしれないが、それ以外のこと、つまり入学祝いのクルマや、卒業記念の海外旅行や、七百万円の結婚式は、普通のお父さんに、してやれることである。
逆に言うと、そのくらいのお金はちょうど一番出しやすいのである。
こういうことだ。
今、日本のお父さんたちは、きばれば何千万円単位のお金が、まあ、出せるのである。ところが何千万単位で買えるものというのは、そう沢山ない。土地付きの家がそれで買えれば問題ないのだが、それはかなり辺鄙なところで捜しても、何億円単位の商品になってしまった。
今、何千万円単位の商品というものは、既に土地を持っている人が、その上にかなりいい家を建てる時の費用か、もしくは近頃やっと注目を集めてきた新興地のリゾート*マンションくらいである。
ほかに、何千万円単位の商品というものはない。だから、何百万円単位のものを、むやみに買うか、ということになるのである。クルマであり、海外旅行であり、ゴルフ会員権であり、ということになるのである。そういうところの商品が、どんどん売れるのである。
日本人の消費力というのが、その辺に集中しているわけである。驚いてしまう経済力である。
街頭でテレビにインタビューされて、消費税についての意見を言う時、私たち庶民の生活は苦しいんです、と言っている主婦は、単に習性でそう言っているだけである。
本当に苦しいなら息子を下宿させて月十万円も仕送りするであろうか(私が消費税をどう思うかということとは別の話です。念のため)。
もちろん、ひとつの家庭には、子供が学校へ行くようになった頃とか、嫁に行く頃とか、時として苦しい時期もある。しかし、まあおしなべて見れば、豊かになったのである。
四十五年前に、食えずに死ぬ人間も珍しくなかったというところから始めて、ここまで来たのだ。百万円単位のものはほいほい買おうというところまで来たのだ。橋倉孝之たちの世代を代表とする日本人が、大いに頑張ったということなのである。