一个月总有那么几天很丧,提不起精神,无力感、觉得做什么事都是虚无都是徒劳。
于是上网搜索“最丧的一句话”,第一条点进去,讲的是中岛美嘉,贴了一个她的演唱会视频。视频中,中岛美嘉唱了一首歌,看完后觉得歌词写的真棒,视频也确实蛮感动,本来打算丧的彻底一些,现在却反被治愈。
中岛美嘉演唱的歌曲名叫《僕が死のうと思ったのは》,中文翻译过来就是:曾经我也想过一了百了。
顺便一提,这首歌的作词作曲者秋田ひろむ,是日本Amazarashi摇滚乐队的主唱,后来才发现他创作的很多歌和歌词都非常值得思考,有兴趣的朋友可以去研究一下。
下面是歌词
我找了很多翻译版本,有视频的,有各大音乐播放APP的,最后我综合了一下,以自己的理解改动了一些小细节。
《僕が死のうと思ったのは》
( 曾经我也想过一了百了)
作詞∶秋田ひろむ
作曲∶秋田ひろむ
原唱∶中岛美嘉
僕が死のうと思ったのは
我曾经也想过一了百了
ウミネコが桟橋で鳴いたから
是因为黑尾鸥在码头悲鸣
波の随意に浮かんで消える
随着波浪一浮一沉
過去も啄ばんで飛んでいけ
叼啄着过去飞向远方
僕がのうと思ったのは
曾经我也想过一了百了
誕生日に杏の花が咲いたから
但因为生日那天杏花开了
その木漏れ日でうたた寝したら
在穿过树梢的阳光下睡去
虫の死骸と土になれるかな
会像昆虫的残骸那样化为尘土吗
薄荷飴 漁港の灯台
薄荷糖 渔港的灯塔
錆びたアーチ橋 捨てた自転車
生锈的拱桥 废弃的自行车
木造の駅のストーブの前で
站在木制车站的暖炉前
どこにも旅立てない心
心中却没有想要去的地方
今日はまるで昨日みたいだ
今天仿佛和昨天一样
明日を変えるなら 今日を変えなきゃ
如果明天想要有所改变 今天就 必须有所行动
分かってる 分かってる けれど
我知道 我都知道 可是啊
僕が死のうと思ったのは
曾经我也想过一了百了
心が空っぽになったから
因为心中缺了一块
満たされないと泣いているのは
感觉不满足而哭泣
きっと満たされたいと願うから
一定是因为心中渴望着丰富充实啊
僕が死のうと思ったのは
我曾经也想过一了百了
靴紐が解けたか ら
是因为鞋子的鞋带松了
結びなおすのは苦手なんだよ
不太会把东西绑在一起
人との繋がりもまた然り
与人之间的关系也是如此
僕が死のうと思ったのは
曾经我也想过一了百了
少年が僕を見つめていたから
是因为少年找到了我
ベッドの上で土下座してるよ
我跪在床上
あの日の僕にごめんなさいと
对从前的自己说“对不起”
パソコンの薄明かり
电脑荧幕的微光
上階の部屋の生活音
楼上房间的噪音
インターフォンのチャイムの音
座机的铃声
耳を塞ぐ鳥かごの少年
捂住耳朵在鸟笼中的少年
見えない敵と戦ってる
与看不见的敌人战斗着
六畳一間のドンキホーテ
在这窄小房间中的唐吉坷德
ゴールはどうせ醜いものさ
反正最后目标一定是丑陋的啊
僕が死のうと思ったのは
曾经我也想过一了百了
冷たい人と言われたから
因为被冷言冷语所伤
愛されたいと泣いているのは
渴望被爱而哭泣
人の温もりを知ってしまったから
是因为感受到了人和人之间的温暖
僕が死のうと思ったのは
曾经我也想过一了百了
あなたが綺麗に笑うから
是因为你灿烂的微笑
死ぬことばかり考えてしまうのは
脑海中只想着一了百了
きっと生きる事に真面目すぎるから
一定是对于活着这件事太过认真了
僕が死のうと思ったのは
曾经我也想过一了百了
まだあなたに出会ってなかったから
是因为还没遇见你
あなたのような人が生まれた
有像你这样的人存在这世上
世界を少し好きになったよ
让我稍微对这个世界有了一点好感
あなたのような人が生きてる
有像你这样的人存在这世上
世界に少し期待するよ
让我开始对这个世界有了些许期待
(完)
下面是视频链接:http://m.v.qq.com/play/play.html?coverid=&vid=w0359y3kujk&ptag=2_5.8.3.13153_copy