《心》讲述的是“先生”结识并爱上了房东家的小姐,同时也赢得了房东太太的好感,但却因年少时曾受到叔父的欺诈而对他人时存戒心,迟迟不能表白自己的心意。后来,“先生”的好友K住进了房东家里,也爱上了小姐,直率的K向好友“先生"表白了自己的心事,“先生”在表面上批评K“不求上进”,背地里却偷偷地向房东太太提出要和小姐结婚。知道了这一切真相之后的K在绝望中自杀了,同时K的死也留给“先生”一生的不安和自责,婚后的“先生”一直无法忘却K,他的内心无比的寂寞,终于也走上了自杀的道路。
私は暇乞(いとまご)いをする時先生夫婦に述べた通り、それから三日目の汽車で東京を立って国へ帰った。この冬以来父の病気について先生から色々の注意を受けた私は、一番心配しなければならない地位にありながら、どういうものか、それが大して苦にならなかった。私はむしろ父がいなくなったあとの母を想像して気の毒に思った。そのくらいだから私は心のどこかで、父はすでに亡くなるべきものと覚悟していたに違いなかった。九州にいる兄へやった手紙のなかにも、私は父の到底(とても)故(もと)のような健康体になる見込みのない事を述べた。一度などは職務の都合もあろうが、できるなら繰り合せてこの夏ぐらい一度顔だけでも見に帰ったらどうだとまで書いた。その上年寄が二人ぎりで田舎にいるのは定(さだ)めて心細いだろう、我々も子として遺憾(いかん)の至(いた)りであるというような感傷的な文句さえ使った。私は実際心に浮ぶままを書いた。けれども書いたあとの気分は書いた時とは違っていた。
正如跟先生夫妇告别时说过的,三天后,我乘火车离开东京,回故乡去了。这年冬天以来,先生对于父亲的病情,给我讲了许多注意事项。虽然我处的地位应该是最该担心的,然而不知怎地,却没觉得有多大痛苦。我倒是想象着父亲去世后的母亲怪可怜的。想来我的内心,一定觉得父亲已经是要故去的人了。在给九州的哥哥的信中,我也说过父亲到底没有康复的可能了。在给九州的哥哥的信中,我也说过父亲到底没有康复的可能了,并希望他尽量腾出时间,能在今年夏天回来见上一面也好。我甚至感伤地说,何况乡下只有两位老人,心里一定不安吧,叫我们做儿子的于心何忍呢。其实,我是一时心血来潮才这么写的。但是写过之后,心情又跟刚才不同了。
私はそうした矛盾を汽車の中で考えた。考えているうちに自分が自分に気の変りやすい軽薄もののように思われて来た。私は不愉快になった。私はまた先生夫婦の事を想(おも)い浮べた。ことに二、三日前晩食(ばんめし)に呼ばれた時の会話を憶(おも)い出した。
「どっちが先へ死ぬだろう」
我在火车上琢磨着这种矛盾。想着想着,似乎觉得自己是个心情易变的轻薄之徒,不免苦恼起来。这时,我又想起先生夫妇,特别是两三天前请我吃完饭时的对话。
“谁现实呢?”
私はその晩先生と奥さんの間に起った疑問をひとり口の内で繰り返してみた。そうしてこの疑問には誰も自信をもって答える事ができないのだと思った。しかしどっちが先へ死ぬと判然(はっきり)分っていたならば、先生はどうするだろう。奥さんはどうするだろう。先生も奥さんも、今のような態度でいるより外(ほか)に仕方がないだろうと思った。(死に近づきつつある父を国元に控えながら、この私がどうする事もできないように)。私は人間を果敢(はか)ないものに観じた。人間のどうする事もできない持って生れた軽薄を、果敢ないものに観じた。
我反复咀嚼着那晚在先生和夫人之间曾出现的疑问。我觉得他们对于这个问题,谁也不能做出有自信的回答。但是,倘若怎能知道谁先死的话,先生会怎样,夫人又会怎样呢?我想先生也罢,夫人也罢,除了现在的态度之外,也不会有其他吧(正如故乡的父亲等待着死亡的迫近,而我却毫无办法一样)。我把人生看成是无常的,把人的无所事事的天性轻薄,看成是虚幻的。
主播介绍
本期主播:66
本期编辑:LMN
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