把黑木瞳散文集「夫の浮気(老公出轨」又看了一遍。
这个前宝冢剧团花组的公主,集美貌与演技于一身的大牌女优,在爱情与婚姻里原来也是如此忐忑。
全书共有15个小故事,都是截取生活中某个片段展开,其中有半夜接到找老公的未知女性的电话,老公出差莫名换旅馆不提前告知,对前女友名字格外敏感等等故事。当然,故事都没有结局(不然就成了爆料书了),有的只是一个大牌女优对极为普通的白领老公的各种“疑神疑鬼”,每一段看了都忍俊不禁,一边看一边自言自语:“啊,有的有的,我也这样想过。”
从她的描写中想见,她的老公个子矮矮的,瘦得皮包骨,不帅不富。她是谁啊,从小被捧着长大、集万千宠爱为一身的人气女优啊!啧啧,看看,在爱情与婚姻里,她与我们又有什么不同。爱情真的会让一个人低到尘埃里。
在最后一片ending里,黑木瞳写道:「私は、世界一、夫が好きです。世界一大事です。世界一大切です。世界一そばにいて欲しい人です。世界一好きだから、夫に浮気をされては困ります。(略)もう一度、繰り返します。私の夫は、浮気をしたことがないそうです。世界一、ださい男かもしれません。でも、世の中に、一人くらい、浮気をしない男がいてもいいんじゃないかな、と、私は思っています。」
好感动的ending。以为生活在一起,所以才能看到他最ださい的一面吧。但看到了他最ださい的一年,他仍是世界一好き、世界一大事的人。因为在乎,所以疑神疑鬼,而这种不出格的小小怀疑正是结婚数年后她还像热恋时一般紧张他的少女心。
而且这段话里也能品出黑木瞳文字风格的醍醐味,她既然又要反复澄清她老公没有出轨,还要用「…そうです(据他自己说)」这样的句式。整本散文集也是幽默满点,可能和作者是演员的职业有关吧,她一直用看剧本的眼光在观察生活,再把这些有趣的生活片段用最形象生动的描绘再现出来。
真是为这个才女的文笔所折服,瞬间路转粉,准备去买她的另外两本散文集了。
不过全书最最感动的还是这句最朴实的、没有过多修饰的白话:
“感觉现在世间充斥着无性婚姻、出轨等等。(中略)我可能落伍了吧,但是我觉得如果能在夫妻间找到男与女这两种性之间真实的东西,那这才应该是最幸福的两性关系。人们为不伦恋的纯爱感动,但是并不会为夫妻的纯爱感动。非要找个理由的话,不用说,是因为人们觉得夫妻纯粹地爱着对方是理所当然的事吧。不过我不这么想。正因为是理所当然的事,所以夫妻才需要不停地努力,尽管努力这个词已经快要成为死去的语言了。夫妻间的羁绊,因为努力而加深。努力是一种行为。和跑叫吃等等一样,是需要想、下决心做的一种有意识的动作。(中略)还有就是,夫妻间的纯爱太平凡了。但是这种'平凡'和'努力'一样,是很难做到的。像那些闪亮的聚光灯,生活中是不存在的。谁也不会来夸奖你。正因为如此,夫妻间'平凡'地相爱,'平凡'地想'我是为我老公而生的',在我看来才正是了不起的事。”
原文:
“現在、世間では、セックスレスや不倫のブームが押しよせてきたような感があります。ただ、私は、時代遅れなのかもしれませんけれど、夫婦間で男と女の真実を見つけ出すことができるのなら、それが一番幸せのような気がするのです。不倫の純愛には、人は感動します。でも、夫婦の純愛に、人は感動しません。理屈として、考えるまでもなく、夫婦は、純粋に愛し合っていて当然のことだと人は思っているからです。でも私は思います。当然のことだからこそ、死語になりつつある努力が夫婦には必要なのです。夫婦の絆は、努力という行為で強くなるのです。努力は行為なのです。走る叫ぶ食べる、などと同じように、思慮や決心を経て意識的に行われる動作なのです。…意識を持って行う努力が必要な夫婦だからこそ、二人の間に生まれた純愛が一番美しいのではないかと私は思うのです。それに、夫婦の純愛はとても普通です。でも普通であるというのも努力同様、大変なことです。煌びやかなスポットライトなどどこにもないのです。誰もほめてはくれないのです。だから、夫婦が普通に愛し合い、夫のために生まれてきたのだと普通に思えることが、私には素敵に思えるのです。”